【04-03中世後期の演劇】都市祝祭から生まれた演劇ジャンル2012/08/02 00:05

こうした集団が次々と結成され都市の祝祭を中心となって運営するようになるにつれて、祝祭の意味も変わっていった。民衆の大部分は祭の担い手から、祭での出し物を受動的に楽しむ客になった。15、16世紀になると、カーニヴァルなどの祝祭は、都市の権力層である大ブルジョワが住民全体に向けて提供する巨大なスペクタクルへと徐々に変質していった。主催者として祭に関わるのは住民の一部となり、祝祭の広場では民衆を楽しませるために演劇上演が行われるようになった。演劇では、当然のことながら、演じ手である役者と観客の間にははっきりとした区分が設けられる。笑劇(ファルス)や阿呆劇(ソティ)といったジャンルの芝居が、こうした都市の祝祭の余興として上演されるようになった。芝居の上演には当時のブルジョワたちの活動の最も活発で革新的な面が現れている。ジャン=クロード・オバイによると、演劇活動はまず15世紀中頃にロワール川、セーヌ川、ソーヌ川の三河川の流域にある都市で活性化した*。これは政商ジャック・クール**によって商業的および産業的に急激に発展した地域と重なる。これに加え、古くからのブルジョワによる都市統治の伝統を持つ北方のいくつかの大都市でも演劇活動が活発に行われるようになった。

この時代の平均的中層ブルジョワ階級が演劇へ示していた強い関心は、〈バゾシュ〉と呼ばれるパリ高等法院の代訴人見習いのコミュニティによる演劇活動にまず見て取ることができるだろう。バゾシュのメンバーの多くはブルジョワ出身で、当時急激に拡大していた司法職見習いの学生だった。彼らは〈阿呆たちの王〉、〈阿呆の母〉、〈ガキ将軍〉といった名前の祝祭のための組織を形成した。またこうした組織はバゾシュたちの間の係争をとりまとめる裁判も行った。この裁判は正式の訴訟ではなく、人々を笑わせることを目的とした見世物としての裁判だった。この司法見習い生による模擬裁判の発展したかたちが、〈脂っこい訴訟〉causes grassesと呼ばれる演劇的な滑稽訴訟であり、カーニヴァルの最後にたびたび上演された。この時代の代表的な喜劇ジャンルである笑劇(ファルス)や阿呆劇(ソティ)も、法廷でのやりとりを連想させる劇構造を持つ作品が多く、バゾシュとの関わりが深いと考えられている。司法見習い生の組織であるバゾシュは15世紀から16世紀初頭のパリと地方の演劇の発展の中で主要な役割を担うことになる。彼らは、カーニヴァルなどの祝祭で許されていた自由のなかで、演劇という表現手段を通じて、社会批判や自分たちの政治的メッセージを発信したのである。バゾッシュの演劇はしばしば、国王の評議官の腐敗したありさまを辛辣に風刺した。

祝祭の無礼講は住民の不満のガス抜きという機能がある。都市の支配層は、祝祭を準備し、統制すると同時に、その祝祭のなかでの若いエネルギーの横溢を許容した。教会による祝祭への糾弾はこの時代にますます激しさを増し、頻繁に行われるようになった。これは教会の糾弾にもかかわらず、祝祭の勢いが衰えることのなかったことを逆説的に示している。それに教会の祝祭に対する態度も一貫したものではなかった。例えば中世以来、年末年始にかけて下級の聖職者たちによって行われていた愚者祭は多くの教会で黙認されていた。司教に対する教会参事会会員の批判が、愚者祭で上演される演劇のかたちで表明されることもあった。フェーヴルが引用している1445年のトロワの教会の記録には以下のように記されている。

割礼の祝日(1/1)に、聖ペテロ教会と聖エティエンヌ教会、および聖ウルバン教会の参事会は、ラッパを鳴らして、町の人々を中心にある広場に呼び集めた。そこに組み上げられた高さのある仮設舞台で演劇作品の上演が行われた。その内容は司教と大聖堂の高位聖職者たちの行状をあてこすって、辛辣に批判するものだった。主要な登場人物は三人で、彼らはそれぞれ「偽善」「見せかけ」「偽装」と呼ばれる。観客たちはこの三人の登場人物に司教と祝祭の開催を阻止しようとしていた二人の参事会員を重ね合わせた。これらの人たちは祝祭の開催を阻止しようとしていたのである。彼らのふるまいに、賢き人々は不満を抱き、憤慨していたのだ。

祝祭的状況での演劇上演は盛んになっていった。不満分子たちは、演劇表現によって、権威と社会を風刺し、批判した。この初期的段階でよく上演されたジャンルは、〈陽気な説教〉sermons joyeuxと呼ばれるパロディ的モノローグ劇だった。焼網の上で殉教した聖ニシン様の栄誉を称えるために、聖ロラン、聖アンドゥイユ[臓物のソーセージ。陰茎の意味もあり]、聖ビユアールは次のような姿勢で祈りを捧げるよう命令する。

背中を上に、腹を下に、腹ばいになって祈るのだ。
破廉恥なことをしてはならないぞ。真面目に祈れ。
女たちは男たちの上に乗っかって祈るのだ。

〈陽気な説教〉は形式的には命令書や遺言書のパロディであることが多く、食欲や性欲に関わる笑いが中心となるテーマとなっている。また狼が羊に追いかけられ、偉大な人物が小人であるような《逆さまの世界》が描写された道化(阿呆)たちのナンセンスな戯れ言(ファトラジー)のような説教もある。

阿呆劇の研究者であるオバイは、こうした独白体の劇を母胎に対話体の劇の形式が生み出されたと推定している。独白劇のなかには、複数の異なる人物の独白から構成された作品がある。こうした作品は、単独の語りからなる独白劇から複数の人物の対話によって構成される阿呆劇(ソティ)や笑劇(ファルス)の中間形態であり、独白劇から対話劇への移行を示しているとオバイは主張している。ただしオバイのこの仮説は理論的なものであり、現存する中世演劇作品の制作年代を見る限り、独白劇が対話劇に先行して現れたジャンルであるとは言えない。

阿呆劇(ソティ)や笑劇(ファルス)は、独白劇と共通した土壌から生み出された演劇ジャンルであることは明らかである。この三つのジャンルの劇世界はいずれも、あらゆる秩序が転覆され、猥褻で下品な冗談に満ちたカーニヴァル的な記号のなかで展開する。これらの演劇作品から、糞尿やセックスに関わる表現や場面の長大なリストを簡単に作ることができるだろう。笑劇(ファルス)のなかには、性行為の単純な隠喩に過ぎないような内容のものがいくつかある。例えば小間使い女が 灌水器(聖水撒布の際に使う短い棒)で司祭につつかれるという内容の笑劇(ファルス)、『五時のミサに出かける小間使い女』はその一例だ。

これらの演劇作品で描かれる「逆さまの世界」で許容されているのは、性的なタブーの逸脱だけにはとどまらない。さらに根本的な規範への逸脱もこの劇内世界では許されている。笑劇(ファルス)では、倫理的な逸脱が描かれる。笑劇(ファルス)の世界では、他人を騙すことで己が利益を得ることができるのであれば、いかなる策略も許容される。阿呆劇(ソティ)はイデオロギー的あるいは政治的な主張を、阿呆の口を通して行うことが許されている。ここでは無知の代表である阿呆こそが世界の主役なのだ。「逆さまの世界」なのはむしろ現実の社会であり、劇世界の中で、尻と頭を逆さにして世界を描き出すことこそが、然るべき場所にある世界を示すことなのだという逆説が阿呆劇(ソティ)では述べられているのである。

* Jean-Claude Aubailly, Le Théâtre médiéval profane et comique, Paris, Larousse, 1975.
**Jacques Cœur (1395-1456)フランス中世の大商人。ブールジュに生まれる。毛皮商を父にもち、シャルル七世の時代、対イギリス戦の戦費を調達し、国王と経済、政治上の広範囲にわたって結託し、勢力を拡張した。(略)東方貿易を通して富の蓄積を進め、フランスの主要都市に彼の代理人を置き、銀行、為替、鉱山、羊毛、貴金属といったあらゆる企業を営み、「雄々しいクール(心臓を意味する)に不可能なことは何もない」といわれた。(略)〈志垣嘉夫〉『日本大百科全書』(小学館)より。

【04-04中世後期の演劇】ファルス(笑劇)の劇世界2012/08/19 02:57

中世後期(15、16世紀)に作られた《短い劇形式》の作品、すなわちファルス(笑劇)とソティ(阿呆劇)は約250編が現存しているが、これは当時、実際に上演された作品のごく一部に過ぎない。B. C. ボーエンによると、この二つのジャンルの違いは、作品内容の現実へのかかわり方にある*。ファルスの登場人物は、家庭を持ち、職業、身分など現実社会の人間の属性を備え、しばしば固有名を持っている。これに対してソティでは、具体性が乏しい象徴的で曖昧な場で劇が展開する。登場人物の数はたいてい多くて、「第1の阿呆(ソ)」、「第2の阿呆」といった具合に番号によって示されることがある。

フェーヴルによるファルスの目録によると、現存するファルスは176編を数える。そこに登場する主な人物は、職人、小商人、ゆすりたかりを行う無頼の徒など、15、16世紀の庶民である。町の中に足を踏み入れた途端、騙されてしまう田舎者もファルスの重要な登場人物だ。田舎者の扱いに、ファルスが本質的に都市住民の観客を対象とした演劇であることが表れている。ファルスの主な舞台は町であり、その展開の核となるのは町の住民たちの間に起こるいざこざである。

貴族が主要な登場人物となっているファルスもあるが、こうしたファルスでは作品の舞台が田舎になっている。貴族はファルスでは笑いものにされる側である。例えば『貴族とノデ**』は、貴族に妻を寝取られたノデという名前の下僕が、仕返しに貴族の妻を寝取る話である。劇の最後でノデは自分の主人である貴族に、「ノデの真似をもうしてはいけませんよ。私もご主人様の真似はもうしませんから」と助言する。
『鶏小屋***』は次のような内容である。コガネムシ氏(Monseiur de la Hannetonnière)とチョウチョ氏(Monsieur de la Papillonnière)の二人の貴族は、粉屋の妻を口説く目的で、夫の留守中に粉屋の家にやって来る。最初にチョウチョ氏がやって来るが、間もなくコガネムシ氏がやって来たのでチョウチョ氏は鶏小屋の中に身を隠した。コガネムシ氏が粉屋の女房を口説こうとしたところで、粉屋の夫が帰宅したため、コガネムシ氏も鶏小屋に隠れた。粉屋は二人の貴族の妻を家に連れて来た。貴族の妻と粉屋、そして粉屋の妻も加わって、四人は大宴会を始める。二人の貴族は、鶏小屋で臆病に身を隠したまま、そのらんちき騒ぎを見守るはめになった。最後に粉屋の夫は鶏小屋に隠れていた貴族たちを見つけ、鶏小屋から引きずり出す。そして人の女房に手を出そうとしたことを謝罪させ、粉屋が抱えていた借金を帳消しにさせる。
ファルスではこのように、田舎貴族もまた都市の観客たちの笑いの対象になっている。もっとも貴族が登場するファルスの数は多くない。ファルスによく登場するのは、靴直し職人、臓物料理屋、金物屋、居酒屋店主、そして僧侶といった人物である。韻文笑話のファブリオと同様に、ファルスに登場する僧侶や司祭は常に好色で貪欲で、聖務日課書を開くよりも他人の妻をものにすることに熱心であるような人物ばかりである。

ファルスの登場人物たちの関心は、即物的な欲望と直結している。食べること、セックスすること、そして金を手に入れること。これらの欲望を満たすためのあらゆる策略は正当化される。また騙されたことに対する復讐もファルスの世界では奨励される。復讐にはしばしば手に棒を持って相手を叩きのめすドタバタ喜劇的な手段が用いられる。
『パテとタルト****』では、腹を空かせた二人のならず者は、ケーキ屋の女房を騙して売り物のウナギのパテを手に入れる。一度成功して味を占めた二人は、今度はタルトを同じように手に入れようとするが失敗し、ケーキ屋の夫に棒で散々打ちのめされる。ファルスの世界では、棒で人を殴りつける側にいることが好ましいこととされる。弱い者、騙される側であるよりは、たとえ愚かであっても強い者の側にあることが、ファルスではよしとされるのである。

夫婦の対立はファルスの主要な主題だが、そこでもファルス特有の強者の論理が展開の鍵となることが多い。『洗濯桶*****』の主人公ジャキノは、妻の言いなりになってあらゆる家事を押し付けられる気弱な夫であるが、妻が洗濯桶の中から出ることができない状態になると、その立場が逆転する。最終的には力強き性である男性原理で話は締め括られるのである。

ファルスの演劇性の本質は、他人を騙し、笑いものにすることである。ベルナデット・レ=フロはファルスfarceの二つの語源について次のように説明する******。ファルスの語源の一つは« fars »でありこれは「詰物」(食べ物にも、衣類にも用いる)を意味する。もう一つの語源は« fart »であり、これは「化粧、変装」を意味する。この二つの語源はどちらもその意味の根底に「ごまかし」というニュアンスが含まれている。詰物も化粧も偽りの見かけを与えることで真実の姿をごまかすものだからである。ファルスにはまさにそういった人物たちが登場する。本来は従順であるはずの妻たちは、ファルスの世界では怒りっぽく、亭主をがみがみ怒鳴りつける。宗教者は猥褻で、貴族たちは品位に乏しい。判事は無能で、勇ましげな兵士は実は臆病者である。しかしこうした愚かで間抜けな人間たちが、意外な機転を発揮することがある。ファルスの世界では、間抜けな人間が状況をしばしばひっくり返し、騙そうとする人々を逆に騙したりする。他人を騙し、笑いものにすること、それは社会によって当然だと考えられている秩序に対する異議申し立てである。

ファルスではこの世間の秩序と力関係は、単純な肉体的な力に基づく関係にたいてい置き換えられる。夫たちは妻の平手打ちを恐れて妻の言いなりになる。『鶏小屋』の粉屋の主人は腕力でもって貴族たちを押さえつける。中世ファルスの傑作、『ピエール・パトラン先生*******』では、いかさまの達人であるパトランは羅紗屋と判事たちを狡猾な手段で丸め込んだものの、愚鈍な羊飼いがパトランの呼びかけに「ベー」と羊の鳴き真似をひたすら繰り返すのには、どうにも対処しようがなく、礼金を手にすることができなかった。

ファルスの世界では暴力と策略が賛美される。そこで重要なのは、食べ物、セックス、あるいは金といった即物的な欲望に身を委ね、他人持ち物を奪い取り、享受することである。しかしその力関係はたやすく逆転する。先ほど騙された人間が今度は棍棒を手に復讐にやって来て、今度はこちらを打ちのめすかもしれないのだから。

* BOWEN (Barbara), Les Caractéristiques essentielles de la farce française et leur survivance dans les années 1550-1620, Urbana, University of Illinois Press, 1964.
** FAIVRE (Bernard), Répertoire des fraces françaises des origines à Tabarin, [s.l.], Imprimerie nationale, 1993. N°70. Le Gentilhomme,Lison, Naudet, La damoiselle (autre titre : Le Gentilhomme et Naudet).
*** Ibid. N°138. Le Poulailler à six personnages (autres titres : Le Poulier à six personnages; Les Deux gentilhommes et le meunier).
**** Ibid. N°125. Le Pâté et la tarte.
***** Ibid. N°43. Le Cuvier.
****** REY-FLAUD (Bernadette), La Farce ou la machine à rire, Genève, Droz, 1984.
******* FAIVRE,op.cit. N°95. Le Maître Pierre Pathelin (autre titre : Pathelin).渡辺一夫訳『ピエール・パトラン先生』東京:岩波書店、《岩波文庫》、1963年。

【04-05中世後期の演劇】ソティ(阿呆劇)の社会風刺2012/08/19 17:10

ファルスでは暴力が支配するドタバタの笑いが優位にあり、その登場人物は現実社会と結びついた具体的な身体を持っている。これに対して、ソティ(阿呆劇)の登場人物は、もっとあいまいで抽象的な存在である。

阿呆sot(ソ)は伝統のなかで形成された類型的役柄である。ソティの阿呆は、狂人と道化の二つの意味を持つfou(フ)とつながりを持つ。狂人および道化は一般社会からは追放された、時に煩わしく、時に滑稽な存在であるが、神の刻印を授けられた聖なる神秘的存在であるとも見なされていた。「狂人、道化」を意味するfouは、ソティのなかで阿呆sot(ソ)という演劇的類型となった(ソティの阿呆sotは作品によってはfouと呼ばれることもある)。演劇的道化である阿呆は、それゆえあらゆる社会的所属から切り離されており、あらゆるタブーから解放されている。

ソティには複数の阿呆が登場することがあるが、個々の阿呆には個別的性格は付与されていない。劇中で阿呆は固有名を持っていない。第1の阿呆、第2の阿呆と番号で呼ばれたり、あるいは「穴あき頭」、「抜け目のない顔」、「消息を知らせる者」と呼ばれたりする。阿呆は言語的存在である。阿呆の演劇的実体は自分の話す台詞によって、そしてその台詞に割り当てられた批判的な機能によってのみ、その存在が保証される。阿呆は、ちまたで人が口を敢えて閉ざしている事柄、小声でささやかれている事柄を大声で叫ぶ。尊敬しなくてはならない人々を愚弄し、表立った批判が躊躇されるような大物を告発する。しかし阿呆が存在を許されるのは舞台の上でのみなのだ。阿呆のことばが意味を持ち得るのは舞台上だけ、すなわち空想上の場だけなのである。ことばによって現実の世界を改革しようなどという大それた目論見を阿呆たちは持っていない。

ソティには大きく二つの型がある。ジャン=クロド・オバイは、この二つの型をそれぞれ〈裁判形式のソティ sottie-jugement〉と〈筋立てのあるソティ sottie-action〉と呼んでいる*。いずれも擬人化によって演劇的身体を与えられたアレゴリックな人物が登場する。〈裁判形式のソティ〉の場合、〈阿呆の母〉もしくは〈阿呆たちの王〉と呼ばれるリーダーの指示に従って、阿呆たちの集団は自分たちの法廷に〈世界〉を呼び出し、次第に悪化していく〈世界〉を糾弾し、尋問を行う。〈世界〉は、作品によっては〈人々〉、〈数人の人〉、〈各々〉と呼ばれることもある。裁判での尋問を通して、この世の退廃の責任がどこにあるのかが追及される。現実の政治や社会の問題があからさまに風刺と批判の対象になることもあるが、最終的には責任の所在は用心深くぼかされ、〈時間〉と〈狂気〉という擬人化された抽象概念がこの世の災いの原因とされる。〈裁判形式のソティ〉では、阿呆の集団はこのように現実世界の外側に身を置き、外側から社会の不幸を批評し、裁くのである。

一方、〈筋立てのあるソティ〉では、阿呆はそれぞれ何らかの社会的集団を具現している。劇の題材となったあらゆる社会集団は阿呆であると風刺されていることになる。アンドレ ・ド・ラ・ヴィーニュ André de La Vigne(1457頃-1527頃)の『8人の登場人物によるソティ』はこのタイプのソティの典型的な作品だ。
〈世界〉を眠らせた後、〈濫用〉は自分が育てた樹木から落ちてきた6個の果実、〈放埓な阿呆〉(教会を表象する)、〈自惚れた阿呆〉(貴族)、〈腐敗した阿呆〉(法律家)、〈嘘つきの阿呆〉(商人)、〈無知の阿呆〉(民衆)、〈愚かな阿呆女〉(女性)とともに、今ある世界を壊し、新しい世界を作り出すことを決意する。新しい世界は、〈混乱〉を土台とし、6人の阿呆を柱にして、舞台上に組み上げられる。しかし最後に〈愚かな阿呆女〉を巡る争いで、新しい世界を表す建造物は崩壊し、古い世界の秩序が回復する。この作品の主題は世界を作り変えることであるが、今の世界を破壊した後で阿呆たちが作りあげたのは、現状の世界よりもさらに劣悪な世界なのだ。

〈筋立てのあるソティ〉では、阿呆たちは世界外存在として、言葉によって社会を外側から批判するのではなく、劇的世界のなかの存在として世間から批判されるべき非道徳的な振る舞いを自ら舞台上で再現することで、社会を風刺する。このため〈筋立てのあるソティ〉は〈裁判形式のソティ〉に比べると現実社会に対する批判はさらに間接的なものとなり、その攻撃性は弱まっている。〈筋立てのあるソティ〉で提示される風刺は、権力層にある人間にとってより受け入れやすいものになっているのである。

* AUBAILLY (Jean-Claude), Le Théâtre médiéval profane et comique, Paris, Larousse, 1975.

【04-06中世後期の演劇】ソティとファルス─権力との関係2012/08/28 02:38

ソティは本質的に、この世の現状を批判し、その担い手と見なされる人々への異議申し立てを行う劇ジャンルである。このためソティと権力層との関係はきわめてデリケートなものとなる。既に指摘したように、ソティで阿呆(ソ)たちの演じ手の中心は、何よりもまず〈バゾシュ〉と呼ばれる司法職見習いの学生たちであり、彼らは中流ブルジョワ階級に属していた。この階級に属する若者たちは、自分たちが政治において何らかの役割を担うことを熱望していた。そして自ら進んで君主の相談役でありたいと考えていたようなのである。国王権力は、ソティの世相批判の対象外だった。世の腐敗の原因は、国王ではなく、常に国王のとりまきの大臣たちや評定官のせいとされた。

しかしながらソティの世相批判のせいで、作者や役者が権力から弾圧を被ることも時にはあった。〈大押韻派*〉の詩人としても知られているアンリ・ボド(Henri Baude, 1415頃-1590以降)は、1486年に上演した阿呆劇の内容が問題にされ、4人の〈バゾシュ〉とともに数ヶ月間、監獄で過ごすはめになった。ボドは、若き国王、シャルル8世(位1483-98)を泉にたとえ、国王の側近たちを、泉を覆う草、根、瓦礫にたとえることで、宮廷を風刺したのである。フランソワ一世(位1515-47)が統治を開始した翌年、1516年にも、三人の役者が宮廷批判のかどで投獄された。彼らが上演した劇にあった「阿呆の母(mère-sot)が宮廷を牛耳っている。この阿呆母のせいでどれほどあらゆるものが、台無しなり、略奪され、かすめ取られたことだろうか!」というセリフが権力層を刺激したのだ。

フランソワ一世の前の王、ルイ12世(位1498-1515)の時代だったなら、このような批判は黙認されたかもしれない。高名な詩人であるシャルル・ド・オルレアンを父とするルイ12世は、寛大でリベラルな王だった。〈大押韻派〉の宮廷詩人、ジャン・ブシェは、次のようなルイ12世の言葉を記している。「私は人々が自由に芝居を演じて欲しいと思うし、[その芝居を通じて]私の宮廷で行われている不正を若者たちが糾弾することを望んでいる。というのも聴罪司祭たちと賢人たちは不正が行われていてもそれを口にしようとはしないからだ」。

おそらくルイ12世の寛大さの裏側には、演劇を自分に引き込むことで政治的に利用するという狡猾な計算があったはずだ。ソティの風刺は当時、かなり大きな影響力を持っていたのである。グランゴール(1475?-?1538)の『阿呆の王たちの劇』は、ソティが国王権力の政治的プロパガンダとして用いられた一例である。この作品は1512年のカーニヴァルの際にパリのレ・アルで上演された。『阿呆たちの王の劇』では、〈裁判形式のソティ〉の枠組みを使って、カーニヴァルと四旬節の戦いの主題が取り上げられている。この劇ではカーニヴァルの阿呆たち(sots-Carnaval)の王はルイ12世を表し、その敵である四旬節の〈阿呆の母〉は教皇ユリウス2世の化身である。カーニヴァルは最後には四旬節を打ち負かし、〈阿呆の母〉が着ていた法衣を脱がしてしまう。教皇の権威を象徴する法衣をはぎ取られた〈阿呆の母〉は単なる阿呆に過ぎない。このように、ソティによってルイ12世の国外政策やローマ教皇、ユリウス2世(位1503-1513)との闘争は正当化されたのである。しかし実際には、ソティを己の政治的プロパガンダの手段として活用しようとしたルイ12世は例外的な存在である。この後に続くフランソワ一世の治世では、ソティの内容は厳しく監督され、このジャンルは風刺の力強さを失った。そして高等法院が戯曲の事前の検閲なしに上演を行うことを禁じたことによって、ソティは決定的に衰弱してしまう。

一方ファルスは、16世紀になってもソティのようにその活力を失うことはなかった。ファルスの上演内容が政治権力に問題視されることは極めて稀だった。というのもファルスはその笑いの性質上、作品のなかに政治的メッセージや特定の個人への攻撃が入り込む余地がなかったからである。騙し騙される世界が展開し、劇中での激しい暴力の場面などが含まれるファルスは、キリスト教が公認する道徳とはかけ離れている。しかしファルスの笑いは反道徳的ではあったけれども、反体制的なものではない。ソティとは異なり、ファルスには真面目な政治的メッセージは含まれておらず、それゆえファルスは危険なものであるとみなされなかったのである。

ファルスの笑いは要するに観客の日常的な抑圧の解消の手段である。観客はファルスの上演を見ているあいだ、粗野で乱暴な登場人物たちに、観客自身が持っている悪魔的な衝動を投影したが、そこに道徳的教訓を見ることはなかったのである。ファルスの登場人物は市井の庶民階級の人間が主だったので、ブルジョワや貴族の観客たちにとっては、最終的には、ファルスの笑いは下層階級への軽蔑の色合いを帯びる。劇中で表現される低俗な衝動は低俗な下層階級の人間のものであるとして、距離を取ることが可能だった。庶民の観客にとっては、ファルスの棒打ちのドタバタギャグは、格好の鬱憤晴らしとなったであろうし、騙し騙される展開は、より強き者への敬意と従順、そして生き延びるために手段を選ばない処世のあり方を示すものとなっただろう。キリスト教的な道徳には反しているが、持てる者たちが支配する世の中は、ファルスの批判の対象ではない。それゆえファルスは、国家権力が周期的に起こる大衆の抑圧解消の衝動を問題視するようになる17世紀の絶対王政の時代まで、問題視されることはなかったのである。

ソティは政治的な鬱憤晴らしであり、ファルスは道徳的な鬱憤晴らしである。中世後期を代表するこの二つの短い劇形式に見られる表現上のリアリズムを過大に評価すべきではない。ソティとファルスは現実を模倣することよりもむしろ、現実世界を笑いによってひっくり返すことのほうが重要だった。〈逆さまの世界〉を舞台上で提示することによって、上演の間、観客をこの裏返しの共犯者にしたてることこそ、この両ジャンルの目的だったのである。

*〈大押韻派〉les grands rhétoriqueurs 15世紀後半から16世紀前半にかけて、極めて技巧的で高度な修辞を用いた詩を書いた宮廷詩人たちを指す。