【05-08】《長大な劇形式》俳優と進行役2014/02/08 03:21

聖史劇の《進行役》
 仕掛けによる趣向が重視されていた聖史劇は、役者たちの技量を味わう演劇ではなかったが、暴君、悪魔、道化(阿呆)などの喜劇的な人物を演じるには、それなりの技量が要求された。こうした喜劇的な役柄は、ファルス(笑劇)やソティ(阿呆劇)の世界に近い存在であり、地域にあるファルスやソティの上演団体(「陽気な信心会」といった名称で呼ばれていた)のメンバーがこうした喜劇的役柄を担当することが多かったようだ。しかし真面目な役柄の配役の選定では、演技力はそれほど重視されなかった。台詞の量が多い役柄は、聖職者、法律家といった人前での演説に慣れたプロが担当することがあったが、重要で威厳のある役を演じることが多かったのは、何よりも裕福な家の人間だった。演技力に長けていても貧しい人間には、こうした役柄を演じるチャンスは少なかったのだ。

 聖史劇の俳優に求められる能力の筆頭は、自分の担当する台詞を覚え、それをはっきりと力強く発声することである。長大な聖史劇のテキストの台詞を、大群衆の前で話さなくてはならないのだから、これはたやすいことではない。1496年にスール Seurreで上演された『聖マルタンの聖史劇』の作者、アンドレ・ド・ラ・ヴィーニュ André de la Vigne(1470?-1526?)は、この作品の上演について興味深い証言を残している。劇の冒頭で、悪魔役の俳優に火が燃え移るという事故が起こった。興奮し、大騒ぎする観客たちに対して、俳優たちはどう振る舞ったのか。ヴィーニュは記す。「舞台上の俳優たちの堂々たる態度は、巣穴のライオンや森に潜む山賊を凌駕するものだった」。大群衆の観客のやじや喧噪を圧倒するような大きな声と存在感が、聖史劇の俳優たちには重要だったのだ。ニュアンスに富んだ演技や声の調子の変化は重要ではなかった。1543年に聖史劇上演を禁じる命令を下したパリ高等法院の検事は、受難劇上演組合の俳優の芝居は「適切な雄弁術も、正しい発音も用いられておらず、知性を欠いた代物」であると批判している。

 聖史劇の俳優の演技についての肯定的な記述はそもそも稀ではあるが、全くないわけではない。中でも1486年にメスMetzの町で上演された『聖カトリーヌの聖史劇』で主役を演じた18歳の女性の演技についての記述はよく知られている。年代記作家のフィリップ・ド・ヴィヌール Phillipe de Vigneullesは次のように記している。「この若い女性は聖カトリーヌを見事に演じ、その演技に観客は哀れみの情を催した。彼女の演技に涙する者もいた。彼女はあらゆる人たちに愛された」。そして「芝居を見てすっかり彼女に魅了された」貴族が彼女を妻にめとった。年代記作家がこのエピソードを記したのはおそらく、彼女の演技が並はずれて印象深く、高い評判を引き出したからに他ならないだろう。

 最近の研究では、中世劇で女性が舞台に上がることはこれまでの研究で指摘されてきたほど例外的ではなかったことが明らかになっている。メスで1486年に聖カトリーヌを演じたこの女性は、記録で確認できる最初の女優ではない。1333年にルイゾン・アミロ Louison Amilhauという女性がトゥーロンToulonでの『聖母の降誕劇』Nativité de Notre-Dameで聖母マリアを演じたという記録が残っている。南仏のロマンRomansで1509年に上演された『三人の貴人の聖史劇』Mystère des trois Domsでは、女王プロゼルピーヌを除く全ての女性の登場人物は、女性によって演じられた。確かに全体的にみると、聖史劇では女優の起用は限定的であり、女性の役柄を含め、男優のみで上演されることが多かった。フランス北部ではこの傾向が強い。しかし女性が舞台に上がることが禁じられていたわけではない。

 聖史劇上演を統括したのは、主催者 organisateurと進行役meneur de jeuである。進行役は舞台上演の責任者であるが、演出家や舞台監督と言うよりはむしろオーケストラの指揮者に近い。フーケの《聖女アポリアナ殉教図》には青い袖なしマントを来た進行役の姿が描かれている(拡大図を参照のこと)。片手で芝居の台本を持ち、もう一方の手には指揮棒を持っている。まさにオーケストラの指揮者のように、観客に見える位置で指揮棒を振って劇の進行をコントロールする。進行役は、俳優、楽器演奏者、舞台装置担当者に始まりの合図を出す。台詞を覚えていない役者には、台詞をささやく。端役たちの集団に指示を出して、芝居の進行速度を調整する。前口上と終口上も彼の役目だ。

 上演に何日も要する聖史劇の規模の大きさを考えると、各場面の稽古はそう頻繁には行うことができなかったはずだ。舞台は上演直前に組み上げられるため、舞台上での稽古は行われなかった。俳優たちの大半は自分の出る場だけを把握するのが精一杯で、各場が全体のなかでどのようにつながっているのか分かっている人間はほとんどいなかっただろう。聖史劇はその巨大さゆえに、全体を統括する先導役が必要不可欠だったのだ。

 物語の内容とは関係のない進行役が舞台上にいても、観客は気にならなかった。聖史劇は聖書のエピソードの写実的な再現を目指した演劇ではない。仕掛けやからくりが重視される聖史劇の表現は、「奇術師の写実主義」であるとベルナール・フェーヴルは評している。俳優も登場人物との同一化を必ずしも目指さない。俳優は自分の身体を通して、ある歴史上の人物を提示し、表現する。聖史劇の登場人物は、個性を持つ個人ではなく固定化された類型的人物なのだ。人物の類型は、聖書や聖者伝の読解や聖史劇上演の伝統のなかで形づくられたものだ。羊飼い、拷問役人、迫害者である王、隠者、改宗者、奇跡を受けた人と言った人物は、どの聖史劇でも交換可能な役柄である。

 こうした類型的人物は、時代が下るにつれてますますその原型的な側面が強化され、記号化が進行した。悔い改めた罪びとの代表であるマリー=マドレーヌはその世俗性が強調された。卑劣なユダはあらゆる悪の宿命を背負う人物となった。ある聖史劇では、オイディプス伝説がユダに重ねられ、ユダはキリストを裏切る前に、父を殺し、母と結婚したことになっている。聖史劇ではあらゆる登場人物について、このような類型化・記号化が行われている。この傾向は道徳劇においてよりいっそう明瞭である。道徳劇では大半の役柄は擬人化された抽象概念である。「愛」は愛らしく、「嫉妬」は妬み深く、「理性」は理屈っぽい。登場人物の性格や言動は、その役柄によってあらかじめ厳密に規定されており、作者や俳優たちによる解釈の自由の余地はほとんど存在しない。

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