【05-01】《長大な劇形式》聖史劇と道徳劇:ジャンルの名称について ― 2012/10/28 02:13
ここからは後期中世の演劇ジャンルのうち、《長大な劇形式》、すなわち聖史劇〈ミステール mystère〉と道徳劇〈モラリテ moralité〉について述べる。この二つの劇ジャンルは、長大化の傾向、教訓的意図、見世物的で豪華な上演形式という共通点を持っている。
道徳劇は、〈人間〉〈力〉〈悪意〉〈偽善〉〈愛〉〈嫉妬〉など,人間の善と悪に関わる道徳的・倫理的抽象観念を擬人化した寓意(アレゴリー)を登場人物とする演劇ジャンルであり、この種の演劇はフランスだけでなく、イギリスやドイツでもこの時代、流行した。英語の作品としては、15世紀末に作られた『エヴリマン』Everymanがよく知られている。寓意的人物が登場する文学作品の伝統は古代末期、4世紀のキリスト教ラテン詩人、プルデンティウスPrudentiusの『霊魂をめぐる戦い』Psychomachiaまで遡ることができる。フランス語では、13世紀にギヨーム・ド・ロリスGuillaume de Lorrisとジャン・ド・マン Jean de Meungによる教訓物語詩『ばら物語』Roman de la roseの大きな成功によって、擬人化された抽象概念による寓意教訓文学の伝統が確立し、その流れのなかから道徳劇が生まれた。
《長大な劇形式》のなかに道徳劇を含めることについては、異論があるかもしれない。フランス語の道徳劇のなかには数百行の長さしかない作品もあるからである。15、6世紀に作られたフランス語の道徳劇は80編ほどが現存しているが、他の劇ジャンルとの境界は必ずしも明確ではない。道徳劇〈モラリテ〉と記されているものの、実際にはあきらかにソティ(阿呆劇)に近い短い作品がいくつかある。また特定のジャンルに分類しがたい作品が、その内容とは無関係に〈モラリテ〉と称されている例もある。アンドレ・ド・ラ・ヴィーニュAndré de la Vigneの『盲人と足の不自由な人のモラリテ』Moralité de l’aveugle et du boiteuxは、標題に〈モラリテ〉とあるものの、その内容はファルスに近く、長さも8音節平韻詩行で260行ほどしかない。この作品は同じ作者による『聖マルタンの聖史劇』Mystère de saint Martinに続いて上演された。
二人の不具者がいた。盲人と足の不自由な人である。彼らは自分の障害を見世物にして人々の同情をひき、物乞いをして生計を営んでいた。ところがある日、埋葬するために人々が運んでいた聖マルタンの遺骸とすれ違ってしまったため、聖マルタンの奇跡によって二人は健常者になってしまった。盲人は目が見えることになったことを喜び、神に感謝したが、足の不自由な人は、健常者になってしまうと物乞いがうまくいかなくなってしまうため、聖人を恨んだ。そしてその後も不具のふりを続けた。この作品がその内容にも関わらず「道徳劇」と題されているのは、おそらく聖人の奇跡が介入する作品を「ファルス」と題するのに作者が抵抗を感じたからだろう。
また当時の刊本や文献では聖史劇(ミステール )と記されているけれど、内容は寓意的人物が登場する道徳劇であり、現在の研究者が〈モラリテ〉に分類している劇作品も少なくない。聖史劇(ミステール mystère。中世ではmistèreと綴られることが多かった)は、かつては「神秘劇」と訳されることもあったが、語源的にはこの劇ジャンルの名称は「神秘」を意味するラテン語 mysterium(ミステリウム)ではなく、「職業、職務」を意味するラテン語 ministerium(ミニステリウム)に由来する。フランス語の「ミステール」は、15世紀には宗教的な内容を含む大規模な見世物の類を指し示す総称となった。その代表が聖書などに取材した宗教的主題の長大な規模の演劇作品だが、ある程度以上の長さのある作品は、その内容にかかわらずmistèreと呼ばれることが当時は多かったのである。いわゆる演劇作品に限らず、王の都市入城の際に活人画、「パ・ダルム」Pas d'armesと呼ばれる軍事隊列行進、騎士階級の娯楽である見世物的騎馬槍試合、あるいは王の戴冠式なども「ミステール」と呼ばれた。
道徳劇は、〈人間〉〈力〉〈悪意〉〈偽善〉〈愛〉〈嫉妬〉など,人間の善と悪に関わる道徳的・倫理的抽象観念を擬人化した寓意(アレゴリー)を登場人物とする演劇ジャンルであり、この種の演劇はフランスだけでなく、イギリスやドイツでもこの時代、流行した。英語の作品としては、15世紀末に作られた『エヴリマン』Everymanがよく知られている。寓意的人物が登場する文学作品の伝統は古代末期、4世紀のキリスト教ラテン詩人、プルデンティウスPrudentiusの『霊魂をめぐる戦い』Psychomachiaまで遡ることができる。フランス語では、13世紀にギヨーム・ド・ロリスGuillaume de Lorrisとジャン・ド・マン Jean de Meungによる教訓物語詩『ばら物語』Roman de la roseの大きな成功によって、擬人化された抽象概念による寓意教訓文学の伝統が確立し、その流れのなかから道徳劇が生まれた。
《長大な劇形式》のなかに道徳劇を含めることについては、異論があるかもしれない。フランス語の道徳劇のなかには数百行の長さしかない作品もあるからである。15、6世紀に作られたフランス語の道徳劇は80編ほどが現存しているが、他の劇ジャンルとの境界は必ずしも明確ではない。道徳劇〈モラリテ〉と記されているものの、実際にはあきらかにソティ(阿呆劇)に近い短い作品がいくつかある。また特定のジャンルに分類しがたい作品が、その内容とは無関係に〈モラリテ〉と称されている例もある。アンドレ・ド・ラ・ヴィーニュAndré de la Vigneの『盲人と足の不自由な人のモラリテ』Moralité de l’aveugle et du boiteuxは、標題に〈モラリテ〉とあるものの、その内容はファルスに近く、長さも8音節平韻詩行で260行ほどしかない。この作品は同じ作者による『聖マルタンの聖史劇』Mystère de saint Martinに続いて上演された。
二人の不具者がいた。盲人と足の不自由な人である。彼らは自分の障害を見世物にして人々の同情をひき、物乞いをして生計を営んでいた。ところがある日、埋葬するために人々が運んでいた聖マルタンの遺骸とすれ違ってしまったため、聖マルタンの奇跡によって二人は健常者になってしまった。盲人は目が見えることになったことを喜び、神に感謝したが、足の不自由な人は、健常者になってしまうと物乞いがうまくいかなくなってしまうため、聖人を恨んだ。そしてその後も不具のふりを続けた。この作品がその内容にも関わらず「道徳劇」と題されているのは、おそらく聖人の奇跡が介入する作品を「ファルス」と題するのに作者が抵抗を感じたからだろう。
また当時の刊本や文献では聖史劇(ミステール )と記されているけれど、内容は寓意的人物が登場する道徳劇であり、現在の研究者が〈モラリテ〉に分類している劇作品も少なくない。聖史劇(ミステール mystère。中世ではmistèreと綴られることが多かった)は、かつては「神秘劇」と訳されることもあったが、語源的にはこの劇ジャンルの名称は「神秘」を意味するラテン語 mysterium(ミステリウム)ではなく、「職業、職務」を意味するラテン語 ministerium(ミニステリウム)に由来する。フランス語の「ミステール」は、15世紀には宗教的な内容を含む大規模な見世物の類を指し示す総称となった。その代表が聖書などに取材した宗教的主題の長大な規模の演劇作品だが、ある程度以上の長さのある作品は、その内容にかかわらずmistèreと呼ばれることが当時は多かったのである。いわゆる演劇作品に限らず、王の都市入城の際に活人画、「パ・ダルム」Pas d'armesと呼ばれる軍事隊列行進、騎士階級の娯楽である見世物的騎馬槍試合、あるいは王の戴冠式なども「ミステール」と呼ばれた。
コメント
_ Yoshi ― 2012/10/28 10:35
_ 通行人 ― 2012/10/28 13:22
2行目のモラリテのスペル。
_ KM ― 2012/11/08 14:39
>通行人のかた
ご指摘ありがとうございました。修正しておきました。
>Yoshiさん
いつもコメントありがとうございます。モラリテはあまり研究が進んでいません。特に宗教的な内容を持つ長大な作品については。エディションも刊行されていない作品がいくつもあります。留学していたときは、向こうの指導教授にモラリテの研究を勧められ、そのつもりになって準備をしていたのですが結局中途半端なままになってしまいました。15-16世紀演劇についてはまだまだ研究の余地はかなり広いように思います。ミステールも長大なものが多いのでこれから研究が進んでいくでしょう。mystèreの用例については一度しっかり調べてみたいと思っています。
ご指摘ありがとうございました。修正しておきました。
>Yoshiさん
いつもコメントありがとうございます。モラリテはあまり研究が進んでいません。特に宗教的な内容を持つ長大な作品については。エディションも刊行されていない作品がいくつもあります。留学していたときは、向こうの指導教授にモラリテの研究を勧められ、そのつもりになって準備をしていたのですが結局中途半端なままになってしまいました。15-16世紀演劇についてはまだまだ研究の余地はかなり広いように思います。ミステールも長大なものが多いのでこれから研究が進んでいくでしょう。mystèreの用例については一度しっかり調べてみたいと思っています。
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://morgue.asablo.jp/blog/2012/10/28/6614324/tb
※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。
以前にsaebouさんのブログのコメント欄で書いたり読ませていただいたりしたことを思い出しつつ読みました。
http://d.hatena.ne.jp/saebou/20100523/p2
フランス語では「ミステール」は中世から使われているのは、あの時に知りましたが、今回初めて知ったのは、演劇以外のパフォーマンス的な行事、例えばPas d'armesなどにも適用された点です。大変興味深く思いました。台詞のある演劇でなくても、大がかりなパフォーマンス・イベントに多様に当てはめられたんでしょうね。ウィッカムも、トーナメントやPas d'armesなどの騎士道イベントと演劇との関連は指摘していますから、こういったイベントがミステールと呼ばれても不思議ではなかったのでしょう。
フランス語では中世劇の現存テキストが非常に多いのにはびっくりさせられます。モラリテだけで80作品とは! 英語では、どういうくくり方をするかによりますが、厳密に道徳劇と呼ばれているのは6作品前後でしょう。但、16世紀中の様々な「インタールード」と呼ばれる劇の中に、道徳劇的な擬人化の構造を持つものはかなり多いですけれど。
どうしてフランスでこれだけのテキストが残ったのが、イングランドでは非常に多くの公演がなされていたことが記録により分かるにも関わらずほとんどのテキストは消滅したのか、不思議ですが、宗教改革による弾圧とも関係があるかもしれません。
それにしても、フランス語の中世劇研究者は、対象とする作品があまりに多くて、かえってありがた迷惑なくらいかも知れませんね。 Yoshi