【05-04】《長大な劇形式》嗜虐的スペクタクルの聖性2013/01/09 18:54

聖史劇および道徳劇で提示される世界は、至高の君主である神と悪魔の長であるサタンが対立軸となる善悪二元論の世界である。サタンによって地上に送り出された悪魔や擬人化された様々な悪徳は、邪悪な助言をささやいて人間たちを罪に陥れようと誘惑する。

悪魔の登場場面、拷問、居酒屋での喧噪の様子の描写は、聖史劇のなかでかなり大きな比重を占め、長大な作品の息抜きとなる悪趣味な幕間寸劇とは言えない。グレバンの受難劇では、拷問の場面は7000行に達し、これは十七世紀の古典主義悲劇の約三本分の長さに相当する。拷問吏だけでなく、悪魔たち、地獄の亡者たちも舞台上で拷問を行った。こうした悪役は一流どころの役者たちによって演じられていた。暴力的な虐待、酩酊的狂騒ぶり、そして卑俗な冗談に興じるこれらの役柄には、バフチン的意味における民衆性、肉体性が具現されている。作品のなかでは「暴君」tyranと呼ばれることもある彼らは、人間の邪悪な側面を表象し、来世と対立する俗世を露悪的なかたちで象徴する存在なのである。

「暴君」たちが嬉々として行う惨たらしい拷問の場面は、当時の観客を大いに魅了したことは間違いない。この場面の表現には、せり機構を使って人間の役者と瞬時に入れ替わる血が噴き出す人形の趣向など、凝った演出上の仕掛けも用いられている。演劇において悪の場面は、常に優れて見世物的であり、観客を興奮させるものだ。聖史劇・道徳劇もまたその例外ではない。悪魔や死刑執行人といった人物は、残虐さと滑稽さを併せ持つ花形の道化役だった。道徳劇では、擬人化された悪徳が登場する場面は美徳の描写よりも生き生きとした精彩を帯びる。

こうした悪が活躍する場面は、聖史劇や道徳劇の教化劇としての役割と相反するものではない。キリスト教の道徳は、罪悪の魅力的な側面とその誘いの強さを否定することは決してなかった。観客は後ろめたさを感じつつも、悪趣味で残虐な場面を存分に楽しみ、そしてそのすぐ後で、不道徳な場面を見て喜びを感じたことに対し改悛の情を示すのである。このような感情の行き来を観客に生じさせることで、聖史劇は観客を教導していく。残虐な拷問を見世物として楽しむとき、観客は無慈悲で浅ましい拷問吏の共犯者となる。この拷問吏は道化師として観客を笑わせなくてはならない。それは観客が後で我に返ったとき、自分が笑ったことを後悔するように仕向ける必要があるからである。殉教の苦しみのなかで苦悶の表情を浮かべていた人間の肉体が、全能である神の奇跡によって聖者の身体へ変わり、輝きを放つとき、拷問の場面で加虐の背徳的な快感を「暴君」とともに享受していたのと同じ観客が、厳粛で敬虔な面持ちで、登場人物たちとともに神への賛歌《Te deum laudamus 神であるあなたを私たちは讃えます》を歌い始める。賛嘆、残酷さ、憐憫、喜び、苦悩、恐怖、卑俗さ、熱狂。観客の情動に激しい揺さぶりをかけることで、聖史劇・道徳劇のスペクタクルは、観客の理性ではなく、本能と感性に強烈に作用する。

聖史劇・道徳劇は作品の長大さのみならず、観客の数の面でも大規模の演劇であったことも忘れてはならない。フランス東部の町、オータンで1516年に上演された聖史劇は8万人の観客を集めたという。フランス南東部の町ロマンでは1509年の6公演が行われ、それぞれの公演で1800名の観客が集まった。総数では観客動員は1万人を超える。フランス北部の町、ヴァランシエンヌでは、1547年に25回の公演が行われ、それぞれに公演で5500人以上の観客が集まった。総数では13万人を越える観客動員があったことにある。21世紀の今、ロマンやヴァランシエンヌといった地方都市で、これほど大勢の観客を集めることのできる演劇は果たしてあるだろうか?

コメント

_ Yoshi ― 2014/02/04 10:17

片山様、遅れてのコメントで恐縮です。興味つきない記事で、楽しく読ませていただきました。

最後の部分、ヴァランシエンヌの5,500人という観客数、凄いですねえ。これだけの人を収容するわけですから、観客席も広大でしょう。座席があったのか、立ち見だったのか、あるいは両方か・・・多分、イングランドのパブリック・シアターみたいに、両方あったのでしょうね。ロンドンのグローブ座などが当時、最高で3,000人収容だったので、それよりもずっと大きいわけですが、グローブ座みたいに、野外とは言えある程度音響に配慮された劇場と違い、ヴァランシアンヌでは観客に台詞が聞こえたのかという疑問が湧きます。台詞はあまり重要じゃ無く、台詞は分かりにくくとも、拷問などのセンセーショナルなシーンや特殊効果などが観客を引きつけた、とも言われますが。

聖史劇での死刑執行や拷問をする兵士や役人は、当時の実在したこの種の人々を反映しているという指摘もあります。大陸の多くの都市では、死刑執行人は特殊な職業だったようで、社会的なスティグマを背負っていた場合もあるようです。例えば教会では他の人と同じ席には座れず、また居住する場所も限定されていたなど。被差別階層と言えるかも知れません。

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