【03-08十三世紀都市の演劇】十三世紀演劇とフォークロア(1):『ロバンとマリオンの劇』の場合2012/04/05 15:08

現存する十三世紀の演劇作品には上演記録が残っていないため、上演の状況については作中に記されている情報から推定するしかない。この時代には常設の劇場はまだ存在せず、興行としての演劇は成立してなかった。十三世紀の演劇作品の多くは共同体の祝祭や儀式のおりに上演されたと考えられている。アダン・ド・ラ・アルの二つの劇作品、『ロバンとマリオンの劇』と『葉陰の劇』には、作品成立の背景となる当時の祝祭およびフォークロアを想起させる興味深い記述が含まれている。

『ロバンとマリオンの劇』は羊飼いと騎士の恋のやりとりを描く中世抒情詩のジャンルであるパストゥレルの世界を、田園牧歌劇のかたちに書き換えた作品だ。この作品は、1282年頃、シチリア王、シャルル・ダンジュのナポリの宮廷で、饗宴の余興として上演されたと考えられている。アダンは1280年頃からシャルル・ダンジュの甥であり、アラスの領主であったアルトワ伯ロベール二世に仕え、1282年の「シチリアの晩鐘」事件の後に、伯とともにイタリアに赴き、そこで1288年頃に死んだと推定されている。

『ロバンとマリオンの劇』は大きく二つの部分に分かれる。羊飼い娘マリオンと騎士のやりとりが中心となる前半の部分には、多数の歌とダンスが挿入されている。後半はマリオンとその恋人ロバン、そして彼らの羊飼いの仲間たちによる遊戯の場面が続き、劇の最後はダンスで締め括られる。

フォンテーヌは『ロバンとマリオンの劇』で描かれたダンス、遊戯の数々とその配置を、ほぼ同時期の作品、ジャック・ブルテル の『ショヴァンシの騎馬槍試合』(1285年)に詳述された宮廷の饗宴のプログラムと比較し、両者の類似点に着目した*。『ショヴァンシの騎馬槍試合』では1285年にロレーヌ地方のショヴァンシで行われた大規模な騎馬槍試合とそれに伴う宮廷の饗宴の様子が詳細に記録されている。フォンテーヌは、現実の宮廷宴会のプログラム構成と『ロバンとマリオンの劇』のなかで演じられる羊飼いたちの歌、ダンス、食事、遊戯との間の多くの共通点を指摘している。『ロバンのマリオンの劇』に記述された多彩な娯楽の構成には、『ショヴァンシの騎馬槍試合』で描写されるような当時の宮廷の饗宴の様相が反映されているというフォンテーヌの指摘は、この作品がナポリの宮廷で饗宴の余興として上演されたという従来の仮説を補強するものとなっている。多様な要素が詰め込まれたことによって『ロバンとマリオンの劇』は雑然としたレビューの様相を呈しているが、それはこの作品が宮廷の饗宴のためのプログラムとして構想された結果と考えると説明がつく。

『ロバンとマリオンの劇』の後半で羊飼いたちが行う遊戯は、当時の風俗を伝える興味深い資料となっている。羊飼いたちは「聖コームの遊び」と「王と王妃の遊び」という遊戯を行う。この二つの遊戯の名前は、ラブレーの『ガルガンチュア』第二十二章のなかで列挙された遊戯の一覧のなかにも見出すことができる。また前述の『ショヴァンシの騎馬槍試合』でも、「王と王妃の遊び」は貴族たちによって行われている。

「聖コームの遊び」はにらめっこの変種のような他愛もない遊びである。 一人がまず聖コームに選ばれる。他のものは聖コームに順番にふざけた贈り物を捧げにいくのだが、聖コームが変な顔をして、笑わせようとするのを我慢しなければならない。そのときに笑ってしまったら、聖コームの役を代わって引き受けることになる。「王と王妃の遊び」は「嘘をつかない王」という名前でも知られている遊戯で、十三、四世紀の宮廷でよく行われていた。まず王、もしくは王妃を一人選ぶ。王(もしくは王妃)は、臣下たちに何か質問をし、臣下たちはその質問には必ず答えなければならない。その質問の内容は恋愛、恋人に関するものが多く、しばしばきわどい性的な仄めかしを含む。

ヴォルティエが提示する史料には、ペンテコステ(聖霊降臨祭)のおりに毎年アンジェで『ロバンのマリオンの劇』というタイトルの演劇作品が上演されたことが記されている**。この『ロバンとマリオンの劇』はアダン・ド・ラ・アルの作品であるかどうかはわからないのだが、演劇作品の上演がペンテコステの祝祭と関わりがあったことを伝えている点で注目に値する。移動祝祭日であるペンテコステは五月初旬から六月初旬のあいだに祝われるが、このペンテコステの祝祭は春の到来を祝う五月祭の習俗と混同されることが珍しくなかった。五月祭の習俗は時代、地域によって異なるが、グリン・ウイッカムによれば、十七世紀はじめごろまでのイギリスの五月祭では王と王妃が祭の参加者のなかから選出され、彼らはロビンフッドとマリオンと呼ばれたとのことである***。中世フランスの牧歌では羊飼いのカップルだったロバンとマリオンが、近代初期のイングランドの五月祭の風習ではアウトローの英雄ロビンフッドとその恋人マリアンに姿を変えているというのは興味深い。五月祭の王と王妃の名前に加え、アダン・ド・ラ・アルの『ロバンとマリオンの劇』で羊飼いたちが興じた遊戯のひとつが「王と王妃の遊び」であることも、五月祭の風習とこの田園牧歌劇の成立とのつながりを示唆している。ロバンとマリオンを主人公とするフランスの田園牧歌の伝統は、近代初期のイングランドの五月祭のなかで、ロビンフッド伝説、森に住むとされた野生の男(緑の男)のフォークロアと混じり合い、新たな形で継承されていたのである。

* Marie-Madeleine Fontaine, « Danser dans le Jeu de Robin et Marion », in Le Corps et ses énigmes au Moyen Age, dir. par B. RIBÉMONT, actes du colloque Orléans 15-16 mai 1992, Caen, Paradigme, 1993, p.45-54.
** Roger Vaultier, Le Folklore pendant la guerre de Cent Ans d'après les lettes de rémission du Trésor des Chartes, Paris, Guénégaud, 1965, p. 72.
***グリン・ウィッカム『中世演劇の社会史』山本浩訳、筑摩書房、1990年、p.193-197.

コメント

_ Yoshi ― 2012/04/07 10:19

こんにちは。少し掲載が途絶えていたので寂しく思っていたのですが、また始まって嬉しく思っております。

フランスとイギリスの伝統の繋がりがあったかなかったか、大変難しく、それだけに興味深い問題ですね。もともと多くの国や地域で初夏の(5月の)お祭りはあった、そして5月の王などの祭のリーダーを選ぶことも普通だった、というところまでは明らかですですが、それがどういう経緯でロビン・フッドとメイド・マリオンになったかは分かりません。フランスの劇(あるいはその劇の背景にあるフランスの伝統)が何らかの影響があったとは、全くの偶然とは考えにくい名前の一致からして、ありそうですが、証明は難しいでしょうね。また、『ロバンとマリオン』の写本がある程度地理的に広く分布し、中世末にもかなり読まれたという記録があれば関係も納得できますが、そうでもないとすると、それぞれの国の作品にとって興味深い参考資料、というところでしょうか。

『ロバンとマリオン』の場合、5月祭との結びつきなどがうかがえるにしても、基本的に宮廷の習俗に根ざす作品のようですね。ブリテン島のロビン・フッド劇やバラッドの場合は、チューダー朝宮廷の祝祭などに利用されますが、基本的には平民の、それも主に農村部の伝統のようです。多くのロビン・フッド劇の記録は、聖史劇などと違い都市では少なくて、農村部の教区教会などの記録に多く見いだされるようです。ロビン・フッドという「アウトロー」が、イングランドにおいては、森林法による規制やエンクロージャーにより入会地を取り上げられたり、森の利用を禁じられたりしてきた長い歴史にたいする農民の反発を体現しているのかと思います。

なお、ロビン・フッド伝説に関しては、ご存じかも知れませんが上野美子先生が3冊、学識溢れる本を出されており、特に岩波新書版(No. 564)で手軽に、しかし詳しく知ることが出来ます。 Yoshi

_ KM ― 2012/04/09 15:28

Yoshiさん、コメントありがとうございます。
現存する『ロバンとマリオンの劇』は二写本だったと思います。『ロバンとマリオンの劇』が大きな影響力を持ったというわけではなく、ロバンとマリオンを登場人物とする中世フランスの田園牧歌(パストゥレル)の伝統があり、『ロバンとマリオンの劇』はそこから生まれた唯一の劇作品の例ということになるでしょう。パストゥレルという抒情詩ジャンルは12世紀末から13世紀にかけて流行したジャンルですが、その主題から民衆的起源の抒情詩ジャンルであると考えられている。またロバンとマリオンを登場事物とするシャンソンは十五、十六世紀まで作られ続けました。これらの田園牧歌の背景には、五月祭などの民衆文化の伝統があり、そのなかでロバンとマリオンの名前や性格がかたちづくられてきたように私には思えます。『ロバンとマリオンの劇』や抒情詩パストゥレルはそうした民俗文化の水脈から湧き出た井戸のようなものではないかと。この水脈が何らかのかたちで、イングランドのロビンフッド伝説と混じり合い、近代の五月祭のなかでのロビンフッドとマリアンという形で現れ出たということを、ウイッカムの記述などから想像しました。

ロビンフッド伝説とロビンフッド劇については私はほとんど知識を持っていません。上野美子先生の著作、読んでみたいと思います。ご教示ありがとうございました。

_ Yoshi ― 2012/04/10 07:42

KMさま、お返事ありがとうございます。

話が脇にそれて恐縮ですが、中世の英語でも叙情詩は沢山残っていますが、田園牧歌的なものは、幾らかはあるとは言え、比較的少ないと思います。何故か、叙情詩でもその他のジャンル(ロマンスなど)でも、中世英文学では相対的に宗教文学が圧倒的に多い印象です。英仏をまたぎ、仏語を主に使用したプランタジネット王家に支配されていたのですが、この違い、面白いですね。また、同じ仏語文学でも、アングロ・ノルマン文学になると、聖者伝など、宗教文学作品に特徴があると何かの本で読みました。一方、例えばフランスではあれほど多く残っているファブリオ−はチョーサーの幾つかの作品を除くと、他にほとんどありません。今後考えたり、他の方に教えていただきたい課題です。 Yoshi

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