【03-10十三世紀都市の演劇】中世都市の風土における個人の姿2012/04/26 11:25

十三世紀の演劇作品は十数篇ほどしか現存していないが、それぞれの作品は様々な主題や異なる劇作術を示している。こうした多様な作品に共通して見られる特質を挙げるとすれば、主要な登場人物が類型ではなく、ひとりの個性を持つ人間として行動していることを挙げることができるだろう。十三世紀演劇が描き出すのは、さんざんためらい、迷い、葛藤した挙句、最後には本人が全く思いがけなかったような方向に落ち込んでしまうような人間の有り様である。

『テオフィールの奇蹟』では、テオフィールは悪魔に身を捧げるものの、結局は改悛して信仰を取り戻す。『葉陰の劇』のアダンは、個人の運命の転換を描く十三世紀演劇の特質を典型的に示している。劇の冒頭でアダンは勉学のため、これからパリに旅立つとアラスの友人たちに宣言するが、劇の最後の部分になっても彼はまだアラスにいて、仲間たちと居酒屋で酔いつぶれている。パリになかなか旅立つとことができないアダンの葛藤の証人となるのは観客である。果たして彼は結局パリに行くことはできなかったのだろうか? パリ行きは彼にとって不可能な夢だったのだろうか? 作者自身を作品の登場人物とする『葉陰の劇』は、自己を演じるロールプレイ、あるいは己を戯画化した「私演劇」でもある。作者でもあり演者でもアダンは、世間の自分に対する批判、嘲笑に対して、萎縮したり、弁明したりするのではなく、演劇作品を通して自虐的に自己の姿をさらすことで応えているのである。

十三世紀都市の演劇作品の登場人物たちは、社会的宿命に為す術もなく囚われたままの受動的な人物ではない。彼らは苦悩と葛藤、絶望のなかで、その宿命から逃れで出ようという意志を持っている。たとえ宗教的作品であっても、そこに登場する人物は、神と悪魔に弄ばれる繰り人形ではないのである。十二世紀半ばに書かれた教会の演劇、『アダム劇』では、悪魔がエヴァのもとに歩み寄ったが、そのおよそ一世紀後にパリのリュトブフが書いた『テオフィールの奇蹟』では、テオフィールが自らの意志に基づき悪魔のほうへと向かう。

十三世紀都市の演劇では金銭が重要な役割を担う。この金銭への執着によって、教会の演劇にはみられない、自らの意志によって主体的に動く人物が登場することが可能になったとフェーヴルは指摘する。十三世紀の演劇作品のなかで、金銭欲から自由な人物は、騎士からのプレゼントを拒否した『ロバンとマリオンの劇』の羊飼い娘マリオンだけである。この田園牧歌劇は、十三世紀演劇作品のなかで、金銭の介在しない純粋な愛の風景を描いた唯一の作品になっている。他の作品に登場するクルトワ、テオフィール、アダン、そしてアラスの住民たちといった人物はすべて、金銭への欲望に囚われ、この欲望が彼らの行動を決定する。自分自身の欲望に従って生きようとする者にとって、富は必要不可欠なものとなる。金銭は十三世紀演劇の人物にとって決定的な役割を持つようになった。『聖ニコラの劇』で異教徒の王が聖ニコラを畏怖し、改宗を決意したのは、聖ニコラが奇蹟によって王の宝物を守ったからであり、さらにその宝物を二倍にしてくれたからなのである。

都市の申し子である十三世紀演劇には、聖職者の文化に見られるような現世への軽蔑的態度、現世をあの世へ向かう通過のための一時的な場所として軽視するような考えは、見出すことができない。天上的価値と地上的価値を和解させることを目指す都市の論理を、十三世紀都市の演劇は示そうとしている。個人が富を後ろ盾に社会的に成り上がって行くことは都市社会では必ずしも否定されるものではないが、こうした生き方は、おそらく当時の都市では、道徳的なものであるとはみなされていなかった。演劇作品のなかでは、こうした利己的態度は風刺的に取り上げられた。異教徒、卑しい身分の人間たち、そして吝嗇なブルジョワたちといった人間たちが、金銭欲に囚われた存在として批判的に描き出される。しかし彼らはその金銭欲への執着によって、個として立ち現れた存在にもなっている。

こうした都市における欲望と個のあり方を鮮やかに描き出している例としてフェーヴルは、十三世紀後半に書かれた笑劇(ファルス)の先駆的作品である『少年と盲人』をとりあげる。この作品の主人公である少年は、純真な子供ではなく、厳しい世間のなかを狡猾に生き抜いてきた不良である。物乞いの手伝いをする小僧を探している盲人がいた。少年はこの盲人にうまく取り入って雇われの身となる。少年は盲人の目が見えないことにつけこんで、盲人をだまし、殴り、盲人から身ぐるみ奪い取ってしまうのだが、それだけでは満足しない。この少年はいったん盲人のそばを離れたあと、わざわざ戻ってきて、事態を把握できず呆然とする盲人に、自分が彼に対して行った悪業を明らかにする。この悪党は、自分より弱く哀れな他者をだまし、その財産を奪い取ることによって、高らかに自己存在を肯定するのである。

『少年と盲人』の少年のように、弱者への加虐的な振る舞いによって自身が抱え込んでいるや鬱屈やいらだちをあからさまに発散するような人物は、十四世紀以降の演劇作品のなかには見出すことができない。笑劇(ファルス)や聖史劇(ミステール)に登場する人物は、程度の差こそあれ当時の約束事に基づく類型的な人物であり、十三世紀の芝居の主人公が持っていた強烈な個性は持っていないとフェーヴルは指摘する。

十三世紀演劇は、大ブルジョワによる「集団的メセナ」が機能する条件を備えたいくつかの中心的都市でしか成立しなかった。こうした都市の代表がアラスであり、パリだった。これらの都市では、ブルジョワという新しい勢力が台頭し、彼ら自身のための文化を創り出そうとしていた。都市では封建領主や教会によって支持されていた旧来の文化が解体され、旧勢力との内的緊張のなかで、ブルジョワによって新たな均衡が再構成されようとしていた。このような状況のなかで、ジャン・ボデルの『聖ニコラの劇』、アダン・ド・ラ・アルの『葉陰の劇』、リュトブフの『テオフィールの奇蹟』といった傑作が生まれる。これらの作品の作者は、集団で創作され、上演される演劇という形式のなかに、都市共同体の欲求に応える新しいタイプのコミュニケーションのあり方を見出したのである。ボデル、アダン・ド・ラ・アル、リュトブフといった詩人たちは、それぞれのやり方で演劇作品を通して、都市的風土のなかでのリアルな人間像を描き出した。偉大な職業作家であるだけでなく、自らパフォーマンスを行うジョングルールでもあった彼らは、豊かな教養は持っていたものの、その社会階層は低く、財産も持っていなかった。演劇作品のなかで、彼らはそうした自らの不安定な状態を、都市社会の鏡として提示した。例えば『葉陰の劇』で、アダン・ド・ラ・アルが自身を戯画化することによって、彼が属する社会的集団の矛盾を風刺的に表現したように。

フランス語の演劇の揺籃期にあたる時代に生まれたこれらの作品は、驚くべき早熟性を示しているが、その多くは後の時代にその直接の後継を持たず、演劇史のなかでは孤立した存在となった。その作品が影響を持ったのは極めて限定的な地域におけるごく短い歴史的瞬間に過ぎない。しかしそれはフランス演劇史における特権的な場と時だったのである。