【04-06中世後期の演劇】ソティとファルス─権力との関係 ― 2012/08/28 02:38
ソティは本質的に、この世の現状を批判し、その担い手と見なされる人々への異議申し立てを行う劇ジャンルである。このためソティと権力層との関係はきわめてデリケートなものとなる。既に指摘したように、ソティで阿呆(ソ)たちの演じ手の中心は、何よりもまず〈バゾシュ〉と呼ばれる司法職見習いの学生たちであり、彼らは中流ブルジョワ階級に属していた。この階級に属する若者たちは、自分たちが政治において何らかの役割を担うことを熱望していた。そして自ら進んで君主の相談役でありたいと考えていたようなのである。国王権力は、ソティの世相批判の対象外だった。世の腐敗の原因は、国王ではなく、常に国王のとりまきの大臣たちや評定官のせいとされた。
しかしながらソティの世相批判のせいで、作者や役者が権力から弾圧を被ることも時にはあった。〈大押韻派*〉の詩人としても知られているアンリ・ボド(Henri Baude, 1415頃-1590以降)は、1486年に上演した阿呆劇の内容が問題にされ、4人の〈バゾシュ〉とともに数ヶ月間、監獄で過ごすはめになった。ボドは、若き国王、シャルル8世(位1483-98)を泉にたとえ、国王の側近たちを、泉を覆う草、根、瓦礫にたとえることで、宮廷を風刺したのである。フランソワ一世(位1515-47)が統治を開始した翌年、1516年にも、三人の役者が宮廷批判のかどで投獄された。彼らが上演した劇にあった「阿呆の母(mère-sot)が宮廷を牛耳っている。この阿呆母のせいでどれほどあらゆるものが、台無しなり、略奪され、かすめ取られたことだろうか!」というセリフが権力層を刺激したのだ。
フランソワ一世の前の王、ルイ12世(位1498-1515)の時代だったなら、このような批判は黙認されたかもしれない。高名な詩人であるシャルル・ド・オルレアンを父とするルイ12世は、寛大でリベラルな王だった。〈大押韻派〉の宮廷詩人、ジャン・ブシェは、次のようなルイ12世の言葉を記している。「私は人々が自由に芝居を演じて欲しいと思うし、[その芝居を通じて]私の宮廷で行われている不正を若者たちが糾弾することを望んでいる。というのも聴罪司祭たちと賢人たちは不正が行われていてもそれを口にしようとはしないからだ」。
おそらくルイ12世の寛大さの裏側には、演劇を自分に引き込むことで政治的に利用するという狡猾な計算があったはずだ。ソティの風刺は当時、かなり大きな影響力を持っていたのである。グランゴール(1475?-?1538)の『阿呆の王たちの劇』は、ソティが国王権力の政治的プロパガンダとして用いられた一例である。この作品は1512年のカーニヴァルの際にパリのレ・アルで上演された。『阿呆たちの王の劇』では、〈裁判形式のソティ〉の枠組みを使って、カーニヴァルと四旬節の戦いの主題が取り上げられている。この劇ではカーニヴァルの阿呆たち(sots-Carnaval)の王はルイ12世を表し、その敵である四旬節の〈阿呆の母〉は教皇ユリウス2世の化身である。カーニヴァルは最後には四旬節を打ち負かし、〈阿呆の母〉が着ていた法衣を脱がしてしまう。教皇の権威を象徴する法衣をはぎ取られた〈阿呆の母〉は単なる阿呆に過ぎない。このように、ソティによってルイ12世の国外政策やローマ教皇、ユリウス2世(位1503-1513)との闘争は正当化されたのである。しかし実際には、ソティを己の政治的プロパガンダの手段として活用しようとしたルイ12世は例外的な存在である。この後に続くフランソワ一世の治世では、ソティの内容は厳しく監督され、このジャンルは風刺の力強さを失った。そして高等法院が戯曲の事前の検閲なしに上演を行うことを禁じたことによって、ソティは決定的に衰弱してしまう。
一方ファルスは、16世紀になってもソティのようにその活力を失うことはなかった。ファルスの上演内容が政治権力に問題視されることは極めて稀だった。というのもファルスはその笑いの性質上、作品のなかに政治的メッセージや特定の個人への攻撃が入り込む余地がなかったからである。騙し騙される世界が展開し、劇中での激しい暴力の場面などが含まれるファルスは、キリスト教が公認する道徳とはかけ離れている。しかしファルスの笑いは反道徳的ではあったけれども、反体制的なものではない。ソティとは異なり、ファルスには真面目な政治的メッセージは含まれておらず、それゆえファルスは危険なものであるとみなされなかったのである。
ファルスの笑いは要するに観客の日常的な抑圧の解消の手段である。観客はファルスの上演を見ているあいだ、粗野で乱暴な登場人物たちに、観客自身が持っている悪魔的な衝動を投影したが、そこに道徳的教訓を見ることはなかったのである。ファルスの登場人物は市井の庶民階級の人間が主だったので、ブルジョワや貴族の観客たちにとっては、最終的には、ファルスの笑いは下層階級への軽蔑の色合いを帯びる。劇中で表現される低俗な衝動は低俗な下層階級の人間のものであるとして、距離を取ることが可能だった。庶民の観客にとっては、ファルスの棒打ちのドタバタギャグは、格好の鬱憤晴らしとなったであろうし、騙し騙される展開は、より強き者への敬意と従順、そして生き延びるために手段を選ばない処世のあり方を示すものとなっただろう。キリスト教的な道徳には反しているが、持てる者たちが支配する世の中は、ファルスの批判の対象ではない。それゆえファルスは、国家権力が周期的に起こる大衆の抑圧解消の衝動を問題視するようになる17世紀の絶対王政の時代まで、問題視されることはなかったのである。
ソティは政治的な鬱憤晴らしであり、ファルスは道徳的な鬱憤晴らしである。中世後期を代表するこの二つの短い劇形式に見られる表現上のリアリズムを過大に評価すべきではない。ソティとファルスは現実を模倣することよりもむしろ、現実世界を笑いによってひっくり返すことのほうが重要だった。〈逆さまの世界〉を舞台上で提示することによって、上演の間、観客をこの裏返しの共犯者にしたてることこそ、この両ジャンルの目的だったのである。
*〈大押韻派〉les grands rhétoriqueurs 15世紀後半から16世紀前半にかけて、極めて技巧的で高度な修辞を用いた詩を書いた宮廷詩人たちを指す。
しかしながらソティの世相批判のせいで、作者や役者が権力から弾圧を被ることも時にはあった。〈大押韻派*〉の詩人としても知られているアンリ・ボド(Henri Baude, 1415頃-1590以降)は、1486年に上演した阿呆劇の内容が問題にされ、4人の〈バゾシュ〉とともに数ヶ月間、監獄で過ごすはめになった。ボドは、若き国王、シャルル8世(位1483-98)を泉にたとえ、国王の側近たちを、泉を覆う草、根、瓦礫にたとえることで、宮廷を風刺したのである。フランソワ一世(位1515-47)が統治を開始した翌年、1516年にも、三人の役者が宮廷批判のかどで投獄された。彼らが上演した劇にあった「阿呆の母(mère-sot)が宮廷を牛耳っている。この阿呆母のせいでどれほどあらゆるものが、台無しなり、略奪され、かすめ取られたことだろうか!」というセリフが権力層を刺激したのだ。
フランソワ一世の前の王、ルイ12世(位1498-1515)の時代だったなら、このような批判は黙認されたかもしれない。高名な詩人であるシャルル・ド・オルレアンを父とするルイ12世は、寛大でリベラルな王だった。〈大押韻派〉の宮廷詩人、ジャン・ブシェは、次のようなルイ12世の言葉を記している。「私は人々が自由に芝居を演じて欲しいと思うし、[その芝居を通じて]私の宮廷で行われている不正を若者たちが糾弾することを望んでいる。というのも聴罪司祭たちと賢人たちは不正が行われていてもそれを口にしようとはしないからだ」。
おそらくルイ12世の寛大さの裏側には、演劇を自分に引き込むことで政治的に利用するという狡猾な計算があったはずだ。ソティの風刺は当時、かなり大きな影響力を持っていたのである。グランゴール(1475?-?1538)の『阿呆の王たちの劇』は、ソティが国王権力の政治的プロパガンダとして用いられた一例である。この作品は1512年のカーニヴァルの際にパリのレ・アルで上演された。『阿呆たちの王の劇』では、〈裁判形式のソティ〉の枠組みを使って、カーニヴァルと四旬節の戦いの主題が取り上げられている。この劇ではカーニヴァルの阿呆たち(sots-Carnaval)の王はルイ12世を表し、その敵である四旬節の〈阿呆の母〉は教皇ユリウス2世の化身である。カーニヴァルは最後には四旬節を打ち負かし、〈阿呆の母〉が着ていた法衣を脱がしてしまう。教皇の権威を象徴する法衣をはぎ取られた〈阿呆の母〉は単なる阿呆に過ぎない。このように、ソティによってルイ12世の国外政策やローマ教皇、ユリウス2世(位1503-1513)との闘争は正当化されたのである。しかし実際には、ソティを己の政治的プロパガンダの手段として活用しようとしたルイ12世は例外的な存在である。この後に続くフランソワ一世の治世では、ソティの内容は厳しく監督され、このジャンルは風刺の力強さを失った。そして高等法院が戯曲の事前の検閲なしに上演を行うことを禁じたことによって、ソティは決定的に衰弱してしまう。
一方ファルスは、16世紀になってもソティのようにその活力を失うことはなかった。ファルスの上演内容が政治権力に問題視されることは極めて稀だった。というのもファルスはその笑いの性質上、作品のなかに政治的メッセージや特定の個人への攻撃が入り込む余地がなかったからである。騙し騙される世界が展開し、劇中での激しい暴力の場面などが含まれるファルスは、キリスト教が公認する道徳とはかけ離れている。しかしファルスの笑いは反道徳的ではあったけれども、反体制的なものではない。ソティとは異なり、ファルスには真面目な政治的メッセージは含まれておらず、それゆえファルスは危険なものであるとみなされなかったのである。
ファルスの笑いは要するに観客の日常的な抑圧の解消の手段である。観客はファルスの上演を見ているあいだ、粗野で乱暴な登場人物たちに、観客自身が持っている悪魔的な衝動を投影したが、そこに道徳的教訓を見ることはなかったのである。ファルスの登場人物は市井の庶民階級の人間が主だったので、ブルジョワや貴族の観客たちにとっては、最終的には、ファルスの笑いは下層階級への軽蔑の色合いを帯びる。劇中で表現される低俗な衝動は低俗な下層階級の人間のものであるとして、距離を取ることが可能だった。庶民の観客にとっては、ファルスの棒打ちのドタバタギャグは、格好の鬱憤晴らしとなったであろうし、騙し騙される展開は、より強き者への敬意と従順、そして生き延びるために手段を選ばない処世のあり方を示すものとなっただろう。キリスト教的な道徳には反しているが、持てる者たちが支配する世の中は、ファルスの批判の対象ではない。それゆえファルスは、国家権力が周期的に起こる大衆の抑圧解消の衝動を問題視するようになる17世紀の絶対王政の時代まで、問題視されることはなかったのである。
ソティは政治的な鬱憤晴らしであり、ファルスは道徳的な鬱憤晴らしである。中世後期を代表するこの二つの短い劇形式に見られる表現上のリアリズムを過大に評価すべきではない。ソティとファルスは現実を模倣することよりもむしろ、現実世界を笑いによってひっくり返すことのほうが重要だった。〈逆さまの世界〉を舞台上で提示することによって、上演の間、観客をこの裏返しの共犯者にしたてることこそ、この両ジャンルの目的だったのである。
*〈大押韻派〉les grands rhétoriqueurs 15世紀後半から16世紀前半にかけて、極めて技巧的で高度な修辞を用いた詩を書いた宮廷詩人たちを指す。
コメント
_ 草生久嗣(西洋中世学会会員) ― 2012/09/11 01:55
_ KM ― 2012/09/12 03:13
うお、サイムズさんが来られるのですか! 私、パリで一度、彼女の講演会に行ってその後ちょっとだけ話をしたことがあります。向こうは覚えてないと思いますが。私はサイムズさんの博士論文は熟読しています。近年書かれたフランス中世演劇関連の論文のなかでは最も刺激的なもので、大いに啓発されました。あいにくその日程では私は大阪に聞きに行けないですね。東京にも来ないのかな。ご連絡、どうもありがとうございました。
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はじめまして。突然の書き込みご容赦ください。
かつて西洋中世学会の方から本ブログの存在をうかがっており
閲覧させていただいていた同学会員の草生と申します。
かかわっております講演イベントで、ご専門に近いと思われるものがあり
コメント欄にて恐縮ながら、紹介させてください。
来る9月24日(2012年)、大阪駅前の会場で
15時から17時30分(その後夕食会)
にイリノイ大学のキャロル・サイムズ(Carol Symes)氏による
Performance, Publicity, and Documentary Practices in
Medieval Europe の講演(英語。日本語の解説付き)
が予定されています。
会場は大阪駅前第2ビル6階、大阪市立大学文化交流センター
小セミナー室となっています。
ご一報いただけましたら、詳細お伝えいたします。
長文失礼いたしました。