【03-05十三世紀都市の演劇】奇跡の起きる場所、宗教劇の上演空間(1)2012/02/12 03:33

ジャン・フーケ『聖アポロニアの殉教』(1445頃)
宗教的な主題の十三世紀演劇作品、ジャン・ボデルの『聖ニコラの劇』やリュトブフの『テオフィールの奇蹟』は、おおむね天国─地上─地獄の象徴的な軸に基づく劇構造を持っている。既に指摘したように、この構造は教会内での演劇である典礼劇でも確認することができる。また教会の外で上演され、典礼とは関わりを持っていないにも関わらず、その宗教的内容ゆえに、両作品とも劇の最後が、出演者と観客によって歌われる《テ・デウム(主であるあなたをわれわれは讃えます)》で締め括られる。これも典礼劇から引き継いだ習慣のひとつである。

典礼劇のなかには詳細なト書きがあるものが少なからずあるが、現存する十三世紀のフランス語演劇作品の写本では、ト書き的な記述(ディダスカリ)はあったとしても極めて貧弱である。『聖ニコラの劇』と『テオフィールの奇蹟』も例外ではない。おそらく、典礼劇は典礼の一部である以上、正確な手順を厳密に規定し、それを祭式者でもある演者が遵守することが必要とされたのに対し、十三世紀の演劇作品の場合、職業芸人であるジョングルールが演じ手であったため、詳細な演出的指示は必要とされず、むしろ演者の即興に委ねられた部分が多くあったという事情の違いに由来するものだろう。十三世紀演劇の舞台上演の実際については、ディダスカリの欠如のため、よくわかっていない部分が多いが、フェーヴルは先行研究を踏まえ、十三世紀の宗教的主題の劇作品について次のような舞台を想定している。

『聖ニコラの劇』と『テオフィールの奇蹟』では、《演技エリア》 aire de jeuの一方の端には神の《場》lieu(リュ)、もう一方の端には悪魔の《場》が、設置されていた。神の《場》には『聖ニコラの劇』では天使と聖ニコラ、『テオフィールの奇蹟』では聖母マリアが待機し、この《場》から、中央の演技エリアへ姿を現した。一方、悪魔の《場》には『聖ニコラの劇』ではテルヴァガンの神殿、『テオフィール』では地獄が設置されていた。

ところで中世演劇特有の舞台空間を示す用語として《マンシオン》mansionという用語が十九世紀以来用いられてきたのだが、フェーヴルはこの用語の使用については否定的な立場を取っている。《マンシオン》は従来の中世フランス語演劇史研究では、「ある特定の場所を表すための舞台装置一式」をおおむね意味している。『フランス語宝典』TLF**の記述によると、ラテン語で「住居」などを意味する《mansio》に由来するこの語が、舞台装置の意味で用いられている最初の用例は、十二世紀に書かれたと考えられているアングロ・ノルマン方言の典礼劇『救世主の復活』に確認できる。しかしこの用語が、中世の文献でこの意味で使用されている例は、この作品でしか確認されていない。1855年に文献学者のポーラン・パリスが聖史劇の演出について言及する際にこの語を用い、それ以来、《マンシオン》が中世演劇の舞台装置を示す用語として定着したようである。中世の演劇テクストで、演技する舞台を示す語として《マンシオン》よりはるかによく用いられたのは《場》lieu(リュ)という語である。

十三世紀のフランス語宗教劇の舞台は、複数の《場》によって構成されていたと考えられている。しかしこの《場》がどのように配置されていたかについては、研究者によって見解が異なる。大きく分けて、観客に向かい合うかたちで、複数の《場》が隣り合わせに並置されていたという説と、複数の《場》が観客とともに円形を形作っていたという説の二つがある。後者の仮説はレ=フロが提示したもので、レ=フロはこの円形舞台を《魔法の円》 cercle magiqueと名付けている**。

並列的な《場》を想定すると、『聖ニコラの劇』と『テオフィールの奇蹟』で物語が展開し、演技が行われた場所(以下《演技エリア》とする)は、「神」と「悪魔」二つの象徴的な《場》の中央前より部分だった可能性が高いとフェーヴルは考える。もし複数の《場》と観客席が《魔法の円》を形成していたと想定するレ=フロの仮説にそって考えるならば、物語が展開する《演技エリア》はこの円の中央部分だっただろう。《演技エリア》の存在は中世末期の聖史劇の舞台で確認することができるが(図、ジャン・フーケ『聖アポロニアの殉教』を参照のこと)、この舞台設計は上演についての資料がほとんど残っていない十三世紀まで遡ることができるとレ=フロは主張し、フェーヴルもそれを妥当な推論だとしている。

《場》は原則的に出番ではない登場人物たちの待機場所だったと考えられている。場合によっては、観客もその場に居合わせて、《演技エリア》で展開する劇を見物していた。もし役者たちがいつもそれぞれの《場》の内部で演技を行っていたと仮定すれば、狭苦しい空間のなかで役者たちが立ち往生する動きの乏しい舞台となるか、あるいはそれぞれ独立した場面を作るのに必要な広さを持つ複数の《場》を並置させるために、公演ごとに壮大な規模の演劇空間を準備しなければならなくなってしまう。こういった理由でおそらく、《場》とは別に《演技エリア》は舞台空間の形成の上で用意する必要があった。役者は自分の出番でないときに自分の《場》に待機して、《演技エリア》を見守る。そして自分の出番になると《場》から《演技エリア》に入り、芝居に参加する。そして自分の登場場面が終わると、《演技エリア》から退場し、自分の《場》へと戻っていった。

しかし劇行為は必ずしも《演技エリア》でだけ展開していたとは限らない。フェーヴルはさらにダイナミックで可変・流動的な上演空間を想定する。この《演技エリア》は劇行為の要請に応じてあらゆる《場》を自由に取り込むことが可能であったとフェーヴルは考える。例えば、『聖ニコラの劇』の上演に際しては、居酒屋として設定された《場》が、《演技エリア》と融合して複合的な《演技エリア》を形成する。その居酒屋の《場》に悪党たちは集まり、そこを《演技エリア》として芝居を続ける。そしてその次の場面では、王の宮廷として設定された《場》がそのまま、《演技エリア》となる。このように場面ごとに、《場》を中心に《演技エリア》が移動していった可能性をフェーヴルは提示している。レ=フロが提唱する《魔法の円》の上演空間でもこうした可動式の《演技エリア》は充分に想定可能である。しかしもし役者たちが部分的にでも《場》の内側で演技を行うのであれば、《魔法の円》というレ=フロの仮説は説得力の乏しいものになってしまうとフェーヴルは指摘する。というのも《場》の内部で芝居が行われた場合、《場》が円形状に配置されていると、観客の多くはその様子を見ることができなくなってしまうからである。

* Trésor de la langue française: Paul Imbs他によって編纂され、1971-94年に刊行された全16巻のこの辞書は、国立フランス語研究所INaLFによって電子化され、インターネット上の次のurlで無料で 利用することができる。atilf.atilf.fr/tlf.htm
** REY-FLAUD (Henri), Le Cercle magique : Essai sur le théâtre en rond à la fin du Moyen Âge, Paris, Gallimard, 1973.