【02-02役者とジョングルール】ローマ古代劇に対する誤解:朗唱者とパントマイム役者2011/10/30 03:21

ジョングルールの技芸には演劇的要素が含まれていたことは確かではあるものの、大部分の作品で見出すことできる演劇性はささやかのものに過ぎない。テクストのなかからジョングルールのパフォーマンスの痕跡を取り出し、朗唱的部分と演劇的部分を厳密に区別して考察することは、実際には困難な作業となるだろう。そもそもわれわれがここで持ち出す「演劇」という概念自体、現代的な文学ジャンル観に基づくものであり、あらゆる文芸が演劇的状況で演じられてきた中世の文芸に適応するにあたっては注意が必要となるのである。

中世では(少なくとも十五世紀まで)、「演劇 theatrum (lat.)」、「演劇的 dramaticus (lat.)」、「喜劇 comoedia (lat.)」、「悲劇 tragoedia (lat.)」という語は、現代とは異なる概念を示していたことは知っておいたほうがよいだろう。聖職者たちはプラウトゥス、そしてテレンティウスの作品を通して古代演劇作品を知っていたし、そのテクストを愛読していた。とりわけテレンティウスはよく読まれていた。しかし中世のかなり初期の段階から(少なくとも六世紀以降)、ローマ古代劇の上演は次のように行われていたのだと信じられていた。
一人の朗唱者がすべての役柄の台詞を読み上げる。台詞が読み上げられているあいだ、パントマイム役者たちが動作によってその場面の各人物を演じる。
この古代劇上演についての勘違いは、五世紀にテレンティウスの作品の校訂者したカリオピウスの記述を、誤読したことに由来すると考えられている。彼が校訂したテレンティウスの劇写本には、”Ego Calliopius rec”と記されている。この”rec”という略記は”recensui”「校訂した(文全体では「私、カリオピウスが校訂した)」と読むべきだったのであるが、それを中世人は”rectavi”「朗読する」の略だと解釈したのだ。この誤解が中世を通じてずっと保持されたことは、その後に書かれたテクストや写本挿絵によって確認することができる。中世では、一人の朗唱者と数人のパントマイム役者によって、ローマ古代劇は上演されていたと信じられていたのである。

また中世では詩人自身が語り手として登場しない対話形式の詩はすべて「演劇」作品であるとみなされた。ウェルギリウスの『牧歌』や旧約聖書の雅歌を、中世人は「演劇」に分類したのである。古代演劇についてこのような誤解があった一方で、「喜劇」と「悲劇」は、演劇と関係ある概念であるとは考えられていなかった。ダンテは朗唱される詩のうち、幸福な結末を持つ作品が「喜劇」であると考えており、それゆえ「地獄篇」ではじまり、「天国篇」で完結する自分の作品を『喜劇』Commedia(『神聖喜劇』Divina Commedia、すなわち『神曲』のこと)と名付けたのである。また中世の学識者たちは、教会や修道院附属の学校で読まれていた古代演劇作品と教会や修道院で上演されていた典礼劇を関連づけて考えることはほとんどなかった。彼らにとって、ローマ古代劇と典礼劇はまったく異なる領域に属する作品群であったのだ。

このように、古代世界と中世の間には演劇に関する大きな断絶が存在したのである。演劇の形式だけでなく、演劇のパフォーマーについても古代と中世の間には断絶があったと考えられている。かつては、西ローマ帝国後期に活躍したパントマイム役者から中世のジョングルールまで、演劇的芸術に関わる芸人の伝統は途切れることなく続いていたと考えられていた。しかし実際には、六世紀から九世紀の間、西欧世界で何らかの演劇的上演が行われていたことを示す文献をわれわれは持っていない。中世の前期にあたるこの時代にも、大貴族の宮廷には、道化や愚者などがいて、主人の無聊を慰めていたかもしれない。しかしこの時期、役者的な芸能者が西欧に存在したかどうかは疑わしい。シャルルマーニュの時代(九世紀)に、ヴィタリスという芸人がいた。ヴィタリスは、西欧でわれわれがその名前を確認することのできる最初の芸人である。その墓銘碑の記述によれば、彼は「物真似芸人」imitatorであった。彼は宴会の会食者の動作や声を見事に真似し、会食者を驚かせたと墓銘碑には刻まれている。かつてはこの記述をもってヴィタリスは西欧世界における最初の「役者」であっと考えられていた。しかしヴィタリスは優れた物真似芸の持ち主であったかもしれないが、われわれが思い浮かべるところの「役者」であったかどうかはわからないのである。

プラウトゥスとテレンティウスの影響のもと、十二世紀に聖職者によって書かれた何編かのラテン語の「演劇」作品が残っている。ギュスターヴ・コエンと彼の弟子たちは『十二世紀フランスのラテン語「喜劇」』のタイトルでこれらのラテン語のテクストの校訂・翻訳を出版している*。彼らは「喜劇」を引用符でくくっている。これは、これらのテクストが上演のために書かれたものなのか、それとも公衆を前に読み上げられるためのものであったのか、あるいは個人の読書のために書かれたものなのか、テクストの文面からは判然としないからである。これらのテクストは学識ある作者による創作で、聖職者学校での学習用テクストとして書かれた可能性が高い。コエンたちが編纂した十二世紀のラテン語「演劇」作品には、地の文が対話体のなかに挟み込まれていたり、ほとんど語りといっていい長大なモノローグがしばしば用いられたりするといった、真正の演劇作品とはみなしがたい要素が含まれている。収録されているテクストの中では、アンフィトリオンの神話の翻案である『ゲタ』、プラウトゥス作品の翻案だと考えられる『アウルラリア』、『バビオ』(一人の若い娘に嘲弄され、妻に馬鹿にされた不幸な老人の話)については、聖職者の学校で実際に上演された可能性がないわけではない。しかし仮に上演されたとしても、その上演方法は「テレンティウス的やり方」での上演であったに違いない。すなわち一人の朗唱者と複数のパントマイム役者によって上演されていただろう。

* Gustave Cohen, et als., éd. et trad. La "comédie" latine en France au XIIe siècle,Paris, Les Belles-lettres, 1931.