【00-04:はじめに】中世演劇の孤立(2)2011/06/26 23:26

一般的なフランス文化観では、フランス文明はその栄光の起源を古典古代に求める。中世はその言葉の意味通り(フランス語ではMoyen Âge)、輝かしい古代と世界史においてヨーロッパが優位に立った近代の中間に位置する時代に過ぎない。平均的な教養を持つフランス人なら、フランスの散文文学といえば十六世紀のラブレー、モンテーニュ以降を、韻文ならやはり十六世紀のプレイヤッド派の詩人たち以降を思い浮かべるだろう。そして演劇といえばそれは十七世紀古典主義時代の偉大な劇作家であるコルネイユ、モリエール、ラシーヌ以降が彼らの教養の枠組みの中にある。そしてそれ以前の作家や作品の知識、関心は物好きな好事家の領域に属しており、文学研究者や演劇研究者であっても、古典古代の作品、作者に比べると、中世の文芸への関心は一般にはるかに低い。

「暗黒の時代」という中世に対する否定的なイメージを定着させたのは十八世紀の啓蒙主義者だと言われている。その後、中世はロマン主義の想像力のなかで幻想的な異世界となった。近代初期にもたらされたこの二つの「歪み」は今もなおわれわれの中世観を支配している。中世は近代のアンチテーゼである。近代は中世からの継続性を否定し、この時代を異世界とすることで己のアイデンティティを主張している。となれば、中世の文芸について考えることは、われわれの感性をいまなお縛る近代的文学観を検証する手段となりうる可能性を秘めているのではないだろうか。古代からも近代からも切り離された中世の演劇を考察することによって、われわれが今抱えている演劇の問題の輪郭を明らかにし、その可能性を押し開くことができるのではないだろうか、という希望を持って、私は中世フランス演劇の研究を続けている。

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