【01-01:教会の演劇】西欧最古の演劇(「聖墓訪問」その1)2011/06/27 01:26

【01-01教会の演劇】聖墓訪問

時代は十世紀、時間は夜明け前で、教会の外は闇に包まれている。復活祭の朝課の典礼が執り行われている。三人のマリアがキリストの墓にやってくるという福音書のエピソードが、典礼のなかで演劇的に取り上げられる。これがフランスにおける最初の演劇的パフォーマンスだった。


典礼の式次第の最後に三人の修道士が登場し、彼らが三人の聖女マリアを演じる。彼らは教会の身廊を進み、聖墓の場所までやって来る。そこにはシュロの葉を持っている四人目の修道士がいた。マリアを待ち受ける天使である。天使は三人にキリストの復活を伝え、キリストが埋葬された墓が空になっていることを確かめるように促す。三人のマリアは聖歌隊のほうに振り向き、その場に居合わせた人たち全員にキリストの復活を告げる。手にはその証拠となる白布があった。白布は墓に残されていた。イエスの遺体を包んでいた白布を三人は振ってみせる。その後、三人のマリアはこの白布を主祭壇に献げる。


ウィンチェスター司教、聖エテルウォルド saint Ethelwoldが965年から975年の間にイギリスのベネディクト派修道院の修道僧のために作成した「聖務規則集」Regularis concordiaは、この典礼の式次第を完全なかたちで記す最古の資料だ。しかし聖エテルウォルドは、この式次第はフランスのロワール河畔フルーリFleuryの聖ブノワ修道院 Abaye de saint-Benoîtで行われていた典礼式次第を模倣したものであることを明らかにしている。おそらくこの「聖墓への訪問(Visitatio sepulchri)」の場面は十世紀半ばには、復活祭の日に行われる典礼式次第の一部としてこのようなかたちで「上演」されていたようだ。


いやもう少し早い時期であった可能性もある。三人のマリアの聖墓訪問の場面が表象された九世紀の二つの象牙彫刻がある。カロル・エ Carol Heitzはこの彫刻の聖女の姿が奇妙なことに女性には見えないことを指摘した。この二つの彫像の職人の技術が拙劣であるがゆえに女性に見えないというわけではない。彫刻家が掘り出したのは三人のマリアではなく、三人のマリアの役を演じる三人の男性修道僧であった可能性が高い。となると、この象牙像は「典礼劇」drame liturgiqueと呼ばれている演劇の実践の場面を表象した最古の資料ということになる。


なお「典礼劇」drame liturgiqueという呼称は十九世紀の研究者によって与えられたものであり、中世人がこの教会内で上演された演劇をdrama liturgicaと呼んでいたわけではない。そもそも教会の典礼儀式に対してliturgie(その教会ラテン語形 liturgia)という名称が定着したのは十六世紀以降のことだ。ここで問題になっている演劇的パフォーマンスは確かに「典礼に付随する演劇」drame paraliturgiqueであるが、本演劇史が依拠しているフェーヴルの演劇史では敢えて「教会の演劇」というもっと曖昧な言い方を用いている。
しかしこの西欧世界最初のドラマが典礼と結びついており、典礼をより効果的で印象的にするという意図から生まれたものであることは明らかだ。中世人による呼称ではないにせよ、演劇の実態を考えるとこのドラマを典礼劇と呼ぶことに大きな問題はないと筆者は考えるし、また記述の都合上もこの名称を用いたほうがわかりやすい。
よってこのブログでこの「教会の演劇」に言及する際には、現在、定着した呼称であるdrame liturgique訳語、典礼劇を使用することとする。

コメント

_ KM ― 2011/06/29 03:22

「典礼劇」という名称について書いている最後の段落の文章がわかりにくかったので、書き換えました。大きな修正を行った場合は、コメント欄にその旨を記すようにします。

_ KM ― 2011/07/09 23:48

最後の部分にまた訂正を加えました。drame liturgiqueの訳語である「典礼劇」という呼称を使用をしないとこの後の記述にかえって混乱を生じさせることがわかったため、この呼称の使用について補足しました。

※コメントの受付件数を超えているため、この記事にコメントすることができません。

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://morgue.asablo.jp/blog/2011/06/27/5930045/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。