【01-08教会の演劇】典礼劇の時間と空間2011/09/18 03:29

教会の演劇では、時間と空間の飛躍という作劇上の性質、すなわち非連続的な時空を「可視化」するという性質が巧みに用いられている。教会内部の聖域は、いくつかの象徴的な場を典礼劇に提供したと考えられている。しかし教会内の場所に設定されたこうした象徴性は、典礼儀式のなかであまりにも厳密に定められているため、演劇の上演の場として用いるにあたってはその強すぎる象徴性が制約となる場合もあった。教会建築に数ある場の象徴のうち、とりわけ東西の軸の象徴性は重要で根本的なものだった。西構え[玄関広間、鐘塔などから成る多層構成の西正面部]は、日の沈む方向にあることから、死の場所を象徴し、典礼劇のなかではしばしば聖墓の場所となった。大祭壇は日の出の方角、つまりイェルサレムの方角に位置することから、イエス生誕の場面はここで演じられた。このように教会の東側は誕生と天国のイメージと結び付き、西側は死と地獄のイメージと結びついた。

典礼劇が教会建築の内部で上演されていたことは確かだが、教会内のどの場所で典礼劇が上演されていたかについては、研究者のあいだでも一致がみられていない。ベルナール・フェーブルは、ヤングなどの記述に基づき、教会建築の中央部の身廊を中心とした広い空間が典礼劇上演の場となっていた可能性が高いと主張している。しかしハーパーのように、典礼劇の上演は聖職者による聖職者のためのものであり、あくまで典礼儀式の枠組みのなかで上演されたものである以上、その上演の場は内陣に限られていたとする説もある。

演技の場を指すのに、典礼劇のテクストで最もよく使われていた語は« platea »である。古典ラテン語では« platea »は、「大通り、広場」を意味するが、ニエルマイヤーの中世ラテン語辞典*では、上記の古典ラテン語における意味のほかに「土手道;用地(屋内もしくは野外のいずれにも用いる);広場、場所、空間」の意味が、ブレーズの中世ラテン語辞典**では「場所、区域;教会内の柱廊(拝廊)」の意味が記されていて、実際のところ、この語が教会のどの場所を指していたのかは特定しがたい。フェーヴルは、« platea »は時に「舞台」を意味することもあったが、一般的には教会の床面を意味し、とりわけ身廊を指す場合が多かったとしている(フェーヴル前掲書26頁)。ただしこの語は内陣を指すこともあったとも記している。

新約聖書の「使徒言行録」第九章10-18節に基づく典礼劇、『聖パウロの改宗』のト書きは以下のように記されている。

「イェルサレムを表現するのに適切だと思われる場所に、司祭たちの王が座る椅子を一脚用意しておくこと。またサウル[改宗の後に、パウロに改名する]の扮装をした若い男が座る椅子をもう一脚、別に用意しておくこと。この若い男を武装した兵士たちがとりかこんでいる。その反対側、この二脚の椅子から十分離れた場所に、また別の二脚の椅子を用意しておくこと。このもう一方の側の二脚の椅子が置かれている場所をダスカマスとする。ユダという名前の男がそのうちの一脚に座り、もう一脚にはダスカマスのシナゴーグの王が座る。椅子の後には寝台が一台置かれ、そこにはアナニアを演じる人物が寝ている。」(ギュスタヴ・コエン『中世フランス宗教劇の演出の歴史*』より)。

フェーヴルはこの劇が教会の床面で上演されていたと想定する。上記の引用にあるように、上演の現場では、イェルサレムとダマスカスという二つの町は、間隔を空けて置かれた椅子とそこに座る重要人物によって示されている。二つの重要な町は、椅子というシンプルな舞台装置によって象徴的に示されている。しかしこの装置のシンプルさゆえに、遠く離れた二つの町が同一空間のなかで並置されていることが、視覚的に明確に表現される。これをフェーヴルは「非連続的要素の連続」と呼んでいる。典礼劇の上演が始まり、床面に置かれた椅子がそれぞれ町を意味することが伝えられるやいなや、教会は演劇的な空間となり、遠く離れた複数の場所が一つの空間のなかで、共存することが可能になるのである。

この「非連続的要素の連続」は、演劇的な場において、空間だけでなく、時間においても適用可能である。演技空間のなかではイェルサレムとダマスカスはほんの数メートルしか離れていない。それゆえ一方の都市からもう一方の都市に移動するには数秒しかかからない。舞台上では時間をこのように跳躍させることが可能になる。時間の流れ方もまた一定ではなく、不規則である。時間の進み方が加速する箇所もあれば、減速する箇所もある。例えば、旅程を表現するにあたっては、しばしば時間が圧縮される。イェルサレムからダマスクスまでの数秒の道のりが一週間を意味する。しかしドラマの展開が視覚的に中断されることがないために、一つのエピソードから別のエピソードに移行する際の劇中の時間の連続性はしっかりと維持されていた。

二十世紀はじめの演劇史研究者の多くは、典礼劇でこのように時・空間が自由に扱われていることに動揺した。彼らは典礼劇のこうした側面を中世の観客の「素朴さ」と「地理に関する無知」を引き合いに出して説明しようとした。しかし彼らは、典礼劇の時空の扱いを語るときに、幕が上下するたびに時や場所の変更が行われることを意味するという、中世典礼劇の時間・空間表現と同じくらい奇妙な近現代の演劇の慣習について思い浮かべることはなかったのである。中世の観客の誰ひとりとして、イェルサレムとダマスカスの間の旅程の演劇的時間がリアルなものであるとは思っていなかったはずである。二十世紀初頭の研究者たちは、規範的な演劇像というものを確固たるものとして持っていたがゆえに、そして中世典礼劇を原始的な演劇形態と見なす先入観があったがゆえに、典礼劇における自由な時・空間のあり方に大きなショックを受けたのである。他のジャンルにおいては、例えば、建築の上部彫刻、ステンドグラス、象牙細工、さらには写本装飾画などでは、この種の非連続的事象の並置を、当時の研究者たちはすでに確認していたにも関わらず、典礼劇に関してはそれを素直に受け取ることができなかったのだ。

* J. F. Niermeyer, Mediae Latinitatis lexicon minus, Leiden, Brill, 1997.
**Albert Blaise, Dictionnaire latin-français des auteurs chrétiens, Turnhout, Brépols, 1954.
***Gustave Cohen, Histoire de la mise en scène dans le théâtre religieux français du Moyen Âge, Paris, Champion, 1951, p. 24.