【01-09教会の演劇】典礼劇の写実性2011/09/24 00:47

多くの研究者が指摘しているように、時代が進むにつれ典礼劇の表現は徐々に写実性を増していった。しかしそのリアリズムは、当然、近代十九世紀のリアリズムとは同じものではない。中世典礼劇のリアリズムは、現実世界の複製ではなく、複製を通して世界の意味を伝えることを目指していた。中世の時代、表現に値する唯一の現実とは神であり、芸術の機能は神についての言説を述べることにあった。

そえゆえ典礼劇のなかで世俗の人物が表現されていたとしても、それは絵画的な探求を目的としていたわけではない。写実的な描写を通して、宗教的神話の表象に確固たる豊かさと奥行きを与えることが目的だったのである。エマウの巡礼者たちの劇では、巡礼者の役柄を演じる者は、サンチアゴ=デ=コンポステラへの巡礼者のような服装を身につける。香料を売る商人の役柄を演じる者は、中世の商人がそうしていたのと同じように、三人の聖女たちに香料を売る。香料売りの商人の役柄にフランス喜劇の起源を見いだそうとする研究者もいるが、この役柄を喜劇的な人物として提示するには、相当発達した演劇的なセンスが必要とされたはずだ。

典礼劇のスペクタクル化はこのように進展したが、それは控え目なものであり、その主要な目的は筋立てをよりわかりやすく提示することにあったようである。聖女たちはそれゆえ典礼の儀式で用いられていたつり香炉ではなく、もっと日常的に使われていた香料入れの箱を手にしていたし、兵士の役を演じる聖職者たちは武具を身につけた(ゲルホッフ・フォン・ライヒェルスブルクが嘆いたように)。そして舞台装置も用いられ始めた。最初期の例としては、イエス生誕の家畜小屋へ向かう東方の三博士のあとを追う星々がある。

用いられる視覚的効果は依然素朴なものだった。ネブカドネザルが若い三人のユダヤ人を放り込むかまど(そのなかでは麻わらが燃えている)、大口を開けてダニエルを脅すライオン、バラム*の飼っている言葉を話すロバなど。衣裳もまた凝ったものになっていった。「預言者たちの行列」のト書きには各預言者の衣裳が細かく記されている。観客は、預言者の着ている衣裳を見れば、入場してきたのがアロンあるいはハバククなのか見分けることができたはずだ。

ただし現存するほとんどの典礼劇のテクストでは、舞台に関する指示(ト書き)は、断片的な情報しか記していない。多くの場合その記述から舞台状況を再現するのが困難であり、これは典礼劇の記録が、上演状況の再現よりもテクストの内容の伝達を目的としていたことを示している。詳細なト書きが記録されるようになるのはかなり後になってからだ。1372年にアヴィニョンで上演された『聖母マリアの奉献』には、壇の大きさと登場人物の服装などの情報が極めて詳細に記録されている。しかし十四世紀後半のこの時代でも、『聖母マリアの奉献』のト書きの精密さは例外的なものだった。これはト書きの記述者であるフィリップ・ド・メジエール**が、中東で(とりわけキプロス島で)盛んに行われていた「聖母マリアの奉献」の式次第を西ヨーロッパに定着させたいと考えていたため、典礼劇のなかにもこのように詳しいト書きが残されたのだと考えられている。

役柄の人物造形もまた全般的にはまだ生硬だった。ただし典礼劇で扱われる主題が拡大されることによって、登場人物が宗教的属性を失い、人間的な様相をみせることもあった。例えばフルーリー=シュール=ロワール写本に収録された聖ニコラに関する四つの典礼劇には、結婚する娘たち、殺される若い聖職者たち、改悛する泥棒たち、あるいは誘拐された子供といった人物が登場する。しかしこれらの作品は他の典礼劇に比べると逸話的な筋立てを持ち、登場人物たちにわずかながら個性らしきものが付与されてはいるものの、それでもやはりこれらの人物たちは聖ニコラによって行われる奇跡の道具だてにとどまっている。さら言えば、典礼劇の登場人物あるいはそこで描かれる状況に世俗的要素が強いからといって、典礼劇から宗教性が失われたと結論づけるのはきわめて現代的な見方である。中世における聖俗の境界は、十六世紀の反宗教改革が取り決めた聖俗の線引きとは同じではない。十二、十三世紀の教会は、我々なら《世俗的》あるいは《涜聖的》と感じるに違いない事柄を、驚くべき寛容さで受け入れていたのだ。

*旧約聖書の預言者。イスラエルの民を呪うことを求められたが、ロバに戒められ彼らを祝福した「民数記」22-23章。
**Philippe de Mézières (1327頃-1405)北フランス、ピカルディ地方出身の軍人、文人。多くの宗教的、教訓的著作を残す。東洋への遠征時に知り合った後のトリポリ伯ピエール(後にイェルサレム王国とキプロス王国の王となる)の寵愛を受ける。アヴィニョンにはキプロス王ピエールの大使として派遣されていた。ペトラルカがラテン語で書いた『グリセルディス』をフランス語に訳した人物としても知られる。彼の訳した『グリゼルディス』は別の人間の手によって十四世紀末に演劇作品に翻案された。