【01-07教会の演劇】典礼劇の発展:演劇性の拡大2011/09/15 02:34

演技者が演じる役柄と同一化する、これは十世紀から十二世紀の典礼劇に生じた根本的な変化の一つである。ゲルホッフ・フォン・ライヒェルスブルクが不快感を抱いたのはまさにこの問題だ。これをミシェル・マチウは「異化から感情への移行」と呼んでいる*。この異化は、役者と彼が演じる人物との間、役者と観客との間の二つの次元で行われる。

最初の典礼劇、「聖墓訪問」では、修道士は役柄を演じつつも、典礼の祭式者としての彼の役割は維持されている。修道士がマリアの役を演じるとき、彼は列席者に白布を見せる一人の聖女の姿を、あくまで祭式者として提示しているのである。修道士は役柄に部分的に同一化しているが、彼の本質的な役割は、典礼儀式の枠組みのなかで一つの聖書的事実(イエスの復活)を可視化することにある。イエスの復活の場面が演じられたとき、修道院長は「嬉しげに」満足した様子を表明したと記録にはある。しかしそれは、上演された内容に対してではなく(つまりイエスが復活したことではなく)、イエスの復活が典礼のなかで無事に再現されたことに対する反応なのだ。

「聖墓訪問」以後に作られた典礼劇においては事情が異なる。演技者である聖職者は、彼が演じる役柄と同一化し、観客となる会衆**もそこで演じられる役柄に直接向き合うようになる。マグダラのマリアを演じる聖職者は、キリストの死の際のマリアの嘆きを、それを見守る列席者とともに「分かち合」おうとする。演じ手である聖職者は自分が演じる人物と同一化(依然部分的なものではあるが)し、役柄の感じている感情を直接、観客である列席者に伝えようとするのである。イエスの復活の場面では、マグダラのマリアの歓喜は、その場面を観客として見守る列席者が感じる歓喜と重なり合う。こうして感情と同一化の転移が行われるのである。

典礼劇のなかの悪役(ピラト、ヘロデ王、あるいはネブカデネザル王)もまたドラマへの観客の感情的な参加を促す存在である。悪役の登場人物の意地悪さや残虐さに反発によって観客はドラマへと没入する。現在、オルレアン市立図書館に所蔵されているフルーリー写本(十二から十三世紀に制作された)に記録されている典礼劇では、ヘロデ王による「幼児の虐殺」のエピソードが舞台化されている。この場面がどのようなかたちで舞台化されたにせよ、こうしたエピソードの導入により、観客の感情移入を抑制する方向ではなく、観客の感性のより深い部分に訴えかけることを目指していることは明らかである。この劇では、虐殺の場面に続く最終部は、以下に述べるような演劇的構造によって、観客の興奮をゆっくりと沈静させる。
虐殺の場面のすぐあとに、母親であるラケルに対する慰めの場面があり、その後、子供たちの蘇生、ヘロデ王の懲罰と続く。観客は虐殺の場面で激しい怒りの感情をかき立てられた後、こうした平安な場の連続によってエジプトから聖家族が帰還する最後の場面まで導かれ、そして最終的には歓喜に満ちた合唱によって劇は締め括られるのである。

このように、教会の演劇は徐々に、会衆とスペクタクル、役者と観客の間に生じる感情的一体感に左右されるようになっていく。こうした結託が強化されたことによって、演劇的構造は急激に変化した。これが典礼劇に起こった第二の重要な革新を呼び起こす。
初期の典礼劇は一つの場面で構成され、そこで展開する筋立てもたいていひとつだけだった。聖女たちが聖墓へと赴く。羊飼いたちが家畜小屋へ向かう。エマオの巡礼たちがキリストと出会う。会衆が立ち会ったこうした聖なる時間の再現は、長大なものではないが、会衆はこの短いスペクタクルに立ち会うことで、事件の証人となったのである。聖書的事実の演劇的再現のあとには、《テ・デウム(主である神を称えます)》が歌われ、典礼は自分の権利を回復する。

しかし教会の演劇のなかに本物のスペクタクルが導入され始めると、そこでは空間的、そして時間的に不連続な場面が並列されるようになった。ピラトの宮殿のそばにキリストの墓が並ぶ。あるいは教会のカレンダーでは十二日間離れているイエスの誕生と東方の三博士の表敬が続けて上演される。こうした不連続な現象を並置する演劇的手法は、「預言者たちの行列」のようなより寓意性の高い形式においてさらに印象的なものになる。「預言者たちの行列」は、聖アウグスティヌスが行ったされる説教の内容に基づいて再現されたスペクタクルである(実際には聖アウグスティヌスはこのような説教は行っていない)。救世主の出現を預言した人物(モーゼ、ハバクク、バラーム、ダニエル、シビュラ、さらに他の預言者)たちが行列をなして、その預言を伝えにやって来るというものである。活躍した時代も場所もばらばらな人物たちが呼び出され、キリストの受肉を告げる。そこで表現されているのは旧約聖書全体、そして聖書が伝える古代世界そのものの姿である。こうした混在が生み出す意味とイメージの多様性は、演劇的構造のもとで統合される。その属性を示す伝統的な衣装を身につけた預言者たちは、あたかもついいましがた大聖堂の石造りの扉口からその場に降り立ったかのように、舞台空間のなかに登場する。一人の預言者の登場によって、その預言者の直前に現れた預言者が作り出していた時空は忘れ去られてしまう。そして次の預言者が現れるまでのあいだ、彼は演劇的時空を支配する。

こうした時間、空間の柔軟な展延性を導入することで、演劇は典礼儀式の従属から抜け出したのである。連続する場面を自在に語るすべを手に入れたことで、演劇は表現としての自律性を獲得し、典礼のテクストを単に形象化したものではなくなった。演劇的な場面の連続を形作るのはエピソードの区切れである。というのも区切れが存在することによって、参席者は時間的および空間的な飛躍をひとつの芸術的な約束事として受け入れることが可能になるからだ。そしてこの約束事を受け入れたとき、典礼儀式の参席者は、演劇の観客としての完全な資格を手にすることになるのだ。

*Michel Mathieu, « Distanciation et émotion dans le théâtre liturgique du Moyen Âge », Revue d'histoire du théâtre, 1969, p. 95-117.

**「観客となる会衆」まどろっこしい表現をここで用いたのは、典礼劇においてその上演を見守る「観客」とは、聖務日課やミサのときに教会内陣で祭式を執り行う聖職者集団を指すからである。つまり典礼劇の「観客」もまた儀式の執行者としてこの式典に参席しているのである。この当時の教会は、教会内部の聖域である内陣は隔壁によって一般信徒が入ることができる部分からははっきり区切られていた。一般信徒は内陣で執り行われている儀式の様子を見ることができなかった。声や歌声は聞くことはできただろうが、儀式の言葉はすべてラテン語だったため、一般信徒には理解することができなかった。聖務日課、ミサにしろ、その一部をなしていた典礼劇にせよ、聖職者によって、聖職者のために(あるいはそれらの儀式を献げる神のために)執り行われていたのだ。

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